るにもひとしい、はなはだもって無礼ではないかと。それにはかたわらに伺候していた老中|板倉伊賀守《いたくらいがのかみ》も返す言葉がなくて、その懐剣をしりぞけてしまったという。その時、将軍はすでに朝服を着けていた。参内するばかりにしたくができた。麻※[#「ころもへん+上」、第4水準2−88−9]※[#「ころもへん+下」、第4水準2−88−10]《あさがみしも》を着けた五十人あまりの侍衆《さむらいしゅう》がその先を払って、いずれも恐れ入った態度を取って、ひそやかに二条城を出たのは三月七日の朝のことだ。台徳公の面影《おもかげ》のあると言わるる年若な将軍は、小御所《こごしょ》の方でも粛然と威儀正しく静座《せいざ》せられたというが、すべてこれらのことは当時の容易ならぬ形勢を語っていた。
 この将軍の上洛は、最初長州侯の建議にもとづくという。しかし京都にはこれを機会に、うんと関東方の膏《あぶら》を絞ろうという人たちが待っていた。もともと真木和泉《まきいずみ》らを急先鋒《きゅうせんぽう》とする一派の志士が、天下変革の兆《きざし》もあらわれたとし、王室の回復も遠くないとして、攘夷をもってひそかに討幕の手
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