き継ぎ、それを営むということが、もとより彼の心をよろこばせないではない。しかし、実際に彼がこの家を背負《しょ》って立とうとなると、これがはたして自分の行くべき道かと考える。国学者としての多くの同志――ことに友人の景蔵なぞが寝食を忘れて国事に奔走している中で、父は病み、実の兄弟《きょうだい》はなし、ただ一人《ひとり》お喜佐のような異腹《はらちがい》の妹に婿養子の祝次郎はあっても、この人は新宅の方にいて彼とはあまり話も合わなかった。
秋らしい日が来ていた。店座敷の障子には、裏の竹林の方からでも飛んで来たかと思われるようなきりぎりすがいて、細長い肢《あし》を伸ばしながら静かに障子の骨の上をはっている。半蔵の目はそのすずしそうな青い羽をながめるともなくながめて、しばらく虫の動きを追っていた。
お民は店座敷へ来て言った。
「あなた、顔色が青いじゃありませんか。」
「そりゃ、お前、生きてる人間だもの。」
これにはお民も二の句が継げなかった。そこへ継母のおまんが一人の男を連れてはいって来た。
「半蔵、清助さんがこれから吾家《うち》へ手伝いに通《かよ》って来てくれますよ。」
和田屋の清助という
前へ
次へ
全473ページ中393ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング