。
湯舟沢の方の百姓は、組頭《くみがしら》とも、都合八人のものが福島の役所に呼び出された。馬籠では、年寄役の儀助、同役|与次衛門《よじえもん》、それに峠の組頭平助がすでに福島へ向けて立って行った。なお、年寄役金兵衛の名代《みょうだい》として、隣家の養子伊之助も半蔵のあとから出かけることになっている。草山口論も今は公《おおやけ》の場処に出て争おうとする御用の山論一条だ。
これらの年寄役は互いに代わり合って、半蔵の付き添いとして行くことになったのだ。
「おれも退役願いを出したくらいだから、今度は顔を出すまいよ。」
と父が言葉を添えるころには、峠の組頭平助が福島から引き返して、半蔵を迎えに来た。半蔵は平助の付き添いに力を得て、脚絆《きゃはん》に草鞋《わらじ》ばき尻端折《しりはしょ》りのかいがいしい姿になった。
諸国には当時の厳禁なる百姓|一揆《いっき》も起こりつつあった。しかし半蔵は、村の長老たちが考えるようにそれを単なる農民の謀反《むほん》とは見なせなかった。百姓一揆の処罰と言えば、軽いものは笞《むち》、入墨《いれずみ》、追い払い、重いものは永牢《えいろう》、打ち首のような厳刑はあ
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