子で踏み出して行こうとした。あの本居宣長ののこした教えを祖述するばかりでなく、それを極端にまで持って行って、実行への道をあけたところに、日ごろ半蔵らが畏敬《いけい》する平田篤胤《ひらたあつたね》の不屈な気魄《きはく》がある。半蔵らに言わせると、鈴の屋の翁にはなんと言っても天明寛政年代の人の寛濶《かんかつ》さがある。そこへ行くと、気吹《いぶき》の舎大人《やのうし》は狭い人かもしれないが、しかしその迫りに迫って行った追求心が彼らの時代の人の心に近い。そこが平田派の学問の世に誤解されやすいところで、篤胤大人の上に及んだ幕府の迫害もはなはだしかった。『大扶桑国考《だいふそうこくこう》』『皇朝無窮暦《こうちょうむきゅうれき》』などの書かれるころになると、絶板を命ぜられるはおろか、著述することまで禁じられ、大人《うし》その人も郷里の秋田へ隠退を余儀なくされたが、しかし大人は六十八歳の生涯《しょうがい》を終わるまで決して屈してはいなかった。同時代を見渡したところ、平田篤胤に比ぶべきほどの必死な学者は半蔵らの目に映って来なかった。
五月も十日過ぎのことで、安政大獄当時に極刑に処せられたもののうち、あ
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