ろうとした。その時、安兵衛は一人の宰領《さいりょう》を彼のところへ連れて来た。
「先生、この人が一緒に行ってくれます。」
 見ると、荷物を護《まも》って行くには屈強な男だ。千両箱の荷造りには嘉吉も来て手伝った。
 四月十日ごろには、寛斎は朝早くしたくをはじめ、旅の落《おと》し差《ざし》に身を堅めて、七か月のわびしい旅籠屋住居《はたごやずまい》に別れて行こうとする人であった。牡丹屋の亭主の計らいで、別れの盃《さかずき》なぞがそこへ運ばれた。安兵衛は寛斎の前にすわって、まず自分で一口飲んだ上で、その土器《かわらけ》を寛斎の方へ差した。この水盃は無量の思いでかわされた。
「さあ、退《ど》いた。退《ど》いた。」
 という声が起こった。廊下に立つ女中なぞの間を分けて、三つの荷が二階から梯子段《はしごだん》の下へ運ばれた。その荷造りした箱の一つ一つは、嘉吉と宿の男とが二人がかりでようやく持ち上がるほどの重さがあった。
「オヤ、もうお立ちでございますか。江戸はいずれ両国のお泊まりでございましょう。あの十一屋の隠居にも、どうかよろしくおっしゃってください。」
 と亭主も寛斎のところへ挨拶《あいさつ》に
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