済ました。町をいましめに来る太鼓の音が聞こえる。閏《うるう》三月の晦日《みそか》まで隠されていた井伊大老の喪もすでに発表されたが、神奈川付近ではなかなか警戒の手をゆるめない。嘉吉は裏座敷から表側の廊下の方へ見に行った。陣笠《じんがさ》をかぶって両刀を腰にした番兵の先には、弓張提灯《ゆみはりぢょうちん》を手にした二人の人足と、太鼓をたたいて回る一人の人足とが並んで通ったと言って、嘉吉は目を光らせながら寛斎のいるところへ戻《もど》って来た。
「そう言えば、先生はすこし横浜の匂《にお》いがする。」
と嘉吉が戯れて言い出した。
「ばかなことを言っちゃいけない。」
この七か月ばかりの間、親しい人のだれの顔も見ず、だれの言葉も聞かないでいる寛斎が、どうして旅の日を暮らしたか。嘉吉の目がそれを言った。
「そんなら見せようか。」
寛斎は笑って、毎日のように手習いした反古《ほご》を行燈《あんどん》のかげに取り出して来て見せた。過ぐる七か月は寛斎にとって、二年にも三年にも当たった。旅籠屋《はたごや》の裏二階から見える椎《しい》の木よりほかにこの人の友とするものもなかった。その枝ぶりをながめながめする
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