《いき》も英米仏露の諸外国に割《さ》き取られ、内地諸所の埠頭《ふとう》は随意に占領され、その上に背負《しょ》い切れないほどの重い償金を取られ、シナの道光《どうこう》時代の末のような姿になって、独立の体面はとても保たれなかったかもしれない。大老がこの至険至難をしのぎ切ったのは、この国にとっての大功と言わねばなるまい。こんなふうに言う人もあった。ともあれ、大老は徳川世襲伝来の精神をささえていた大極柱《だいこくばしら》の倒れるように倒れて行った。この報知《しらせ》を聞く彦根《ひこね》藩士の憤激、続いて起こって来そうな彦根と水戸両藩の葛藤《かっとう》は寛斎にも想像された。前途は実に測りがたかった。
 神奈川付近から横浜へかけての町々の警備は一層厳重をきわめるようになった。鶴見《つるみ》の橋詰めには杉《すぎ》の角柱《かくばしら》に大貫《おおぬき》を通した関門が新たに建てられた。夜になると、神奈川にある二か所の関門も堅く閉ざされ、三つ所紋の割羽織《わりばおり》に裁付袴《たっつけばかま》もいかめしい番兵が三人の人足を先に立てて、外国諸領事の仮寓《かぐう》する寺々から、神奈川台の異人屋敷の方までも警戒
前へ 次へ
全473ページ中258ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング