。岩瀬肥後も今は向島《むこうじま》に蟄居《ちっきょ》して、客にも会わず、号を鴎所《おうしょ》と改めてわずかに好きな書画なぞに日々の憂《う》さを慰めていると聞く。
「幕府のことはもはや語るに足るものがない。」
と瑞見は嘆息して、その意味から言っても、罪せられた岩瀬肥後を憐《あわれ》んだ。そういう瑞見は、彼自身も思いがけない譴責《けんせき》を受けて、蝦夷《えぞ》移住を命ぜられたのがすこし早かったばかりに、大獄事件の巻き添えを食わなかったというまでである。
十一屋の隠居は瑞見よりも一歩《ひとあし》先に江戸の方へ帰って行った。瑞見の方は腹具合を悪くして、寛斎の介抱などを受けていたために、神奈川を立つのが二、三日おくれた。
瑞見は蝦夷《えぞ》から同行して来た供の男を連れて、寛斎にも牡丹屋《ぼたんや》の亭主《ていしゅ》にも別れを告げる時に言った。
「わたしもまた函館《はこだて》の方へ行って、昼寝でもして来ます。」
こんな言葉を残した。
客を送り出して見ると、寛斎は一層さびしい日を暮らすようになった。毎晩のように彗星《すいせい》が空にあらわれて怪しい光を放つのは、あれは何かの前兆を語る
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