奈川には奉行《ぶぎょう》組頭《くみがしら》もある、そういう役人の家よりもわざわざ牡丹屋のような古い旅籠屋《はたごや》を選んで微行で瑞見のやって来たことが寛斎をよろこばせた。あって見ると、思いのほか、年も若い。三十二、三ぐらいにしか見えない。
「きょうのお客さまは名高い人ですが、お目にかかって見ると、まだお若いかたのようですね。」
と牡丹屋の亭主《ていしゅ》が寛斎の袖《そで》を引いて言ったくらいだ。
翌日は寛斎と牡丹屋の亭主とが先に立って、江戸から来た三人をまず神奈川台へ案内し、黒い館門《やかたもん》の木戸を通って、横浜道へ向かった。番所のあるところから野毛山《のげやま》の下へ出るには、内浦に沿うて岸を一回りせねばならぬ。程《ほど》ヶ谷《や》からの道がそこへ続いて来ている。野毛には奉行の屋敷があり、越前《えちぜん》の陣屋もある。そこから野毛橋を渡り、土手通りを過ぎて、仮の吉田橋から関内《かんない》にはいった。
「横浜もさびしいところですね。」
「わたしの来た時分には、これよりもっとさびしいところでした。」
瑞見と寛斎とは歩きながら、こんな言葉をかわして、高札場《こうさつば》の立つあ
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