かも夢のように、寛斎の視野のうちにはいって来るものがある。日本最初の使節を乗せた咸臨丸《かんりんまる》がアメリカへ向けて神奈川沖を通過した時だ。徳川幕府がオランダ政府から購《か》い入れたというその小さな軍艦は品川沖から出帆して来た。艦長木村|摂津守《せっつのかみ》、指揮官|勝麟太郎《かつりんたろう》をはじめ、運用方、測量方から火夫水夫まで、一切西洋人の手を借りることなしに、オランダ人の伝習を受け初めてからようやく五年にしかならない航海術で、とにもかくにも大洋を乗り切ろうという日本人の大胆さは、寛斎を驚かした。薩摩《さつま》の沖で以前に難船して徳川政府の保護を受けていたアメリカの船員らも、咸臨丸で送りかえされるという。その軍艦は港の出入りに石炭を焚《た》くばかり、航海中はただ風をたよりに運転せねばならないほどの小型のものであったから、煙も揚げずに神奈川沖を通過しただけが、いささか物足りなかった。大変な評判で、神奈川台の上には人の黒山を築いた。不案内な土地の方へ行くために、使節の一行は何千何百足の草鞋《わらじ》を用意して行ったかしれないなぞといううわさがそのあとに残った。当時二十六、七歳の
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