達《だいせんだつ》の言葉、『玉かつま』の第十二章にある本居宣長《もとおりのりなが》のこの言葉は、今の寛斎にとっては何より有力な味方だった。金もほしいと思いながら、それをほしくないようなことを言うのは、例の漢学者流の虚偽だと教えてあるのだ。
「だれだって金のほしくないものはない。」
そこから寛斎のように中津川の商人について、横浜出稼ぎということも起こって来た。本居|大人《うし》のような人には虚心坦懐《きょしんたんかい》というものがある。その人の前にはなんでも許される。しかし、血気|壮《さか》んで、単純なものは、あの寛大な先達のように貧しい老人を許しそうもない。
そういう寛斎は、本居、平田諸大人の歩いた道をたどって、早くも古代復帰の夢想を抱《いだ》いた一人《ひとり》である。この夢想は、京都を中心に頭を持ち上げて来た勤王家の新しい運動に結びつくべき運命のものであった。彼の教えた弟子の三人が三人とも、勤王家の運動に心を寄せているのも、実は彼が播《ま》いた種だ。今度の大獄に連座《れんざ》した人たちはいずれもその渦中《かちゅう》に立っていないものはない。その中には、六人の婦人さえまじっている。
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