にも告げた。その黒船の現われたため、にわかに彦根の藩主は幕府から現場の詰役《つめやく》を命ぜられたとのこと。
 嘉永《かえい》六年六月十日の晩で、ちょうど諏訪大社からの二人の代参が村をさして大急ぎに帰って来たころは、その乾《かわ》ききった夜の空気の中を彦根の使者が西へ急いだ。江戸からの便《たよ》りは中仙道《なかせんどう》を経て、この山の中へ届くまでに、早飛脚でも相応日数はかかる。黒船とか、唐人船《とうじんぶね》とかがおびただしくあの沖合いにあらわれたということ以外に、くわしいことはだれにもわからない。ましてアメリカの水師提督ペリイが四|艘《そう》の軍艦を率いて、初めて日本に到着したなぞとは、知りようもない。
「江戸は大変だということですよ。」
 金兵衛はただそれだけを吉左衛門の耳にささやいた。
[#改丁]

     第一章

       一

 七月にはいって、吉左衛門《きちざえもん》は木曾福島《きそふくしま》の用事を済まして出張先から引き取って来た。その用向きは、前の年の秋に、福島の勘定所から依頼のあった仕法立《しほうだ》ての件で、馬籠《まごめ》の宿《しゅく》としては金百両の調達
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