った。別れぎわに、七郎左衛門は街道から海の見えるところまで送って来て、下田の方の空を半蔵らにさして見せた。もはや異国の人は粗末な板画《はんが》などで見るような、そんな遠いところにいる人たちばかりではなかった。相模灘《さがみなだ》をへだてた下田の港の方には、最初のアメリカ領事ハリス、その書記ヒュウスケンが相携えてすでに海から陸に上り、長泉寺を仮の領事館として、赤と青と白とで彩《いろど》った星条の国旗を高くそこに掲げていたころである。
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     第四章

       一

 中津川の商人、万屋安兵衛《よろずややすべえ》、手代《てだい》嘉吉《かきち》、同じ町の大和屋李助《やまとやりすけ》、これらの人たちが生糸売り込みに目をつけ、開港後まだ間もない横浜へとこころざして、美濃《みの》を出発して来たのはやがて安政六年の十月を迎えたころである。中津川の医者で、半蔵の旧《ふる》い師匠にあたる宮川寛斎《みやがわかんさい》も、この一行に加わって来た。もっとも、寛斎はただの横浜見物ではなく、やはり出稼《でかせ》ぎの一人《ひとり》として――万屋安兵衛の書役《かきやく》という形で。
 一行四人は
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