て、半蔵たちのところへ話し込みに来る宿屋の隠居もある。その話し好きな隠居は、木曾の山の中を出て江戸に運命を開拓するまでの自分の苦心なぞを語った末に、
「あなたがたに江戸の話を聞かせろとおっしゃられても、わたしも困る。」
 と断わって、なんと言っても忘れがたいのは嘉永《かえい》六年の六月に十二代将軍の薨去《こうきょ》を伝えたころだと言い出した。
 受け売りにしても隠居の話はくわしかった。ちょうどアメリカのペリイが初めて浦賀に渡来した翌日あたりは、将軍は病の床にあった。強い暑さに中《あた》って、多勢の医者が手を尽くしても、将軍の疲労は日に日に増すばかりであった。将軍自身にももはや起《た》てないことを知りながら、押して老中を呼んで、今回の大事は開闢《かいびゃく》以来の珍事である、自分も深く心を痛めているが、不幸にして大病に冒され、いかんともすることができないと語ったという。ついては、水戸《みと》の隠居(烈公)は年来海外のことに苦心して、定めしよい了簡《りょうけん》もあろうから、自分の死後外国処置の件は隠居に相談するようにと言い置いたという。アメリカの軍艦が内海に乗り入れたのは、その夜のことで
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