た。あそこの小屋の前に檜木《ひのき》の実が乾《ほ》してあった、ここに山の中らしい耳のとがった茶色な犬がいた、とそんなことを語り合って行く間にも楽しい笑い声が起こった。一人の草鞋《わらじ》の紐《ひも》が解けたと言えば、他の二人《ふたり》はそれを結ぶまで待った。
深い森林の光景がひらけた。妻籠から福島までの間は寿平次のよく知っている道で、福島の役所からの差紙《さしがみ》でもあるおりには半蔵も父吉左衛門の代理としてこれまで幾たびとなく往来したことがある。幼い時分から街道を見る目を養われた半蔵らは、馬方や人足や駕籠《かご》かきなぞの隠れたところに流している汗を行く先に見つけた。九月から残った蠅《はえ》は馬にも人にも取りついて、それだけでも木曾路の旅らしい思いをさせた。
「佐吉、どうだい。」
「おれは足は達者《たっしゃ》だが、お前さまは。」
「おれも歩くことは平気だ。」
寿平次と連れだって行く半蔵は佐吉を顧みて、こんな言葉をかわしては、また進んだ。
秋も過ぎ去りつつあった。色づいた霜葉《しもは》は谷に満ちていた。季節が季節なら、木曾川の水流を利用して山から伐《き》り出した材木を流しているさ
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