当時の諸大名は、各自に寝具、食器の類《たぐい》を携帯して、本陣へは部屋代を払うというふうであったからで。寿平次の代になってもそんなめんどうくさいことを一々書きとめて、後日の参考とすることを怠っていない。半蔵が心深くながめたのもその覚え帳だ。
「寿平次さん、今度の旅は佐吉に供をさせます。そのつもりで馬籠から連れて来ました。あれも江戸を見たがっていますよ。君の荷物はあれにかつがせてください。」
 この半蔵の言葉も寿平次をよろこばせた。
 翌朝、佐吉はだれよりも一番早く起きて、半蔵や寿平次が目をさましたころには、二足の草鞋《わらじ》をちゃんとそろえて置いた。自分用の檜木笠《ひのきがさ》、天秤棒《てんびんぼう》まで用意した。それから囲炉裏ばたにかしこまって、主人らのしたくのできるのを待った。寿平次は留守中のことを脇《わき》本陣の扇屋《おうぎや》の主人、得右衛門《とくえもん》に頼んで置いて、柿色《かきいろ》の地《じ》に黒羅紗《くろらしゃ》の襟《えり》のついた合羽《かっぱ》を身につけた。関所の通り手形も半蔵と同じように用意した。
 妻籠の隠居はもういい年のおばあさんで、孫にあたる寿平次をそれまでに
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