か、五十六人で三両二分とか、村でも思い思いに納めるようだが、おれたちは七人で、一人が一朱《いっしゅ》ずつと話をまとめましたわい。」
 仙十郎は酒をついで回っていたが、ちょうどその百姓の前まで来た。
「よせ。こんな席で上納金の話なんか。伊勢《いせ》の神風の一つでも吹いてごらん、そんな唐人船《とうじんぶね》なぞはどこかへ飛んでしまう。くよくよするな。それよりか、一杯行こう。」
「どうも旦那はえらいことを言わっせる。」と百姓は仙十郎の盃《さかずき》をうけた。
「上の伏見屋の旦那。」と遠くの席から高い声で相槌《あいづち》を打つものもある。「おれもお前さまに賛成だ。徳川さまの御威光で、四艘や五艘ぐらいの唐人船がなんだなし。」
 酒が回るにつれて、こんな話は古風な石場搗《いしばづ》きの唄《うた》なぞに変わりかけて行った。この地方のものは、いったいに酒に強い。だれでも飲む。若い者にも飲ませる。おふき婆さんのような年をとった女ですら、なかなか隅《すみ》へは置けないくらいだ。そのうちに仙十郎が半蔵の前へ行ってすわったころは、かなりの上きげんになった。半蔵も方々から来る祝いの盃をことわりかねて、顔を紅《あか》くしていた。
 やがて、仙十郎は声高くうたい出した。
  木曾のナ
  なかのりさん、
  木曾の御嶽《おんたけ》さんは
  なんちゃらほい、
  夏でも寒い。
  よい、よい、よい。
 半蔵とは対《むか》い合いに、お民の隣には仙十郎の妻で半蔵の異母妹にあたるお喜佐も来て膳《ぜん》に着いていた。お喜佐は目を細くして、若い夫のほれぼれとさせるような声に耳を傾けていた。その声は一座のうちのだれよりも清《すず》しい。
「半蔵さん、君の前でわたしがうたうのは今夜初めてでしょう。」
 と仙十郎は軽く笑って、また手拍子《てびょうし》を打ちはじめた。百姓の仲間からおふき婆さんまでが右に左にからだを振り動かしながら手を拍《う》って調子を合わせた。塩辛《しおから》い声を振り揚げる髪結い直次の音頭取《おんどと》りで、鄙《ひな》びた合唱がまたそのあとに続いた。
  袷《あわせ》ナ
  なかのりさん、
  袷やりたや
  なんちゃらほい、
  足袋《たび》添えて。
  よい、よい、よい。


 本陣とは言っても、吉左衛門の家の生活は質素で、芋焼餅《いもやきもち》なぞを冬の朝の代用食とした。祝言のあった六日目の朝には、もはや客振舞《きゃくぶるまい》の取り込みも静まり、一日がかりのあと片づけも済み、出入りの百姓たちもそれぞれ引き取って行ったあとなので、おまんは炉ばたにいて家の人たちの好きな芋焼餅を焼いた。
 店座敷に休んだ半蔵もお民もまだ起き出さなかった。
「いつも早起きの若旦那が、この二、三日はめずらしい。」
 そんな声が二人の下女の働いている勝手口の方から聞こえて来る。しかしおまんは奉公人の言うことなぞに頓着《とんちゃく》しないで、ゆっくり若い者を眠らせようとした。そこへおふき婆さんが新夫婦の様子を見に屋外《そと》からはいって来た。
「姉《あね》さま。」
「あい、おふきか。」
 おふきは炉ばたにいるおまんを見て入り口の土間のところに立ったまま声をかけた。
「姉さま。おれはけさ早く起きて、山の芋《いも》を掘りに行って来た。大旦那も半蔵さまもお好きだで、こんなものをさげて来た。店座敷ではまだ起きさっせんかなし。」
 おふきは※[#「くさかんむり/稾」、58−12]苞《わらづと》につつんだ山の芋にも温《あたた》かい心を見せて、半蔵の乳母《うば》として通《かよ》って来た日と同じように、やがて炉ばたへ上がった。
「おふき、お前はよいところへ来てくれた。」とおまんは言った。「きょうは若夫婦に御幣餅《ごへいもち》を祝うつもりで、胡桃《くるみ》を取りよせて置いた。お前も手伝っておくれ。」
「ええ、手伝うどころじゃない。農家も今は閑《ひま》だで。御幣餅とはお前さまもよいところへ気がつかっせいた。」
「それに、若夫婦のお相伴《しょうばん》に、お隣の子息《むすこ》さんでも呼んであげようかと思ってさ。」
「あれ、そうかなし。それじゃおれが伏見屋へちょっくら行って来る。そのうちには店座敷でも起きさっせるずら。」
 気候はめずらしい暖かさを続けていて、炉ばたも楽しい。黒く煤《すす》けた竹筒、魚の形、その自在鍵《じざいかぎ》の天井から吊《つ》るしてある下では、あかあかと炉の火が燃えた。おふきが隣家まで行って帰って見たころには、半蔵とお民とが起きて来ていて、二人で松薪《まつまき》をくべていた。渡し金《がね》の上に載せてある芋焼餅も焼きざましになったころだ。おふきはその里芋《さといも》の子の白くあらわれたやつを温め直して、大根おろしを添えて、新夫婦に食べさせた。
「お民、おいで。髪でも直しましょう。
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