わって来たんじゃありませんかね。」
「さあねえ。」
「寿平次さんは岩倉様の蟄居《ちっきょ》を命ぜられたことはお聞きでしたかい。」
「そいつは初耳です。」
「どうもいろいろなことをまとめて考えて見ると、何か京都の方には起こっている――」
「半蔵さんのお仲間からは何か言って来ますか。今じゃ平田先生の御門人で、京都に集まってる人もずいぶんあるんでしょう。」
「しばらく景蔵さんからも便《たよ》りがありません。」
「なにしろ世の中は多事だ。これからの庄屋の三年は、お父《とっ》さん時代の人たちの二十年に当たるかもしれませんね。」
 二人は話し話し歩いた。
 一石栃《いちこくとち》まで帰って行くと、そこは妻籠と馬籠の宿境にも近い。歩き遅れた半蔵らは連れの伊之助や小左衛門なぞに追いついて、峠の峰まで帰って行った。
「へえ、旦那《だんな》、おめでとうございます。」
 半蔵はその峰の上で、そこに自分を待ち受けている峠村の組頭、その他二、三の村のものの声を聞いた。
 清水というところまで帰って行った。馬籠の町内にある五人組の重立ったものが半蔵を出迎えた。陣場まで帰って行った。問屋の九郎兵衛、馬籠の組頭で百姓総代の庄助、本陣新宅の祝次郎、その他半蔵が内弟子《うちでし》の勝重《かつしげ》から手習い子供まで、それに荒町《あらまち》からのものなぞを入れると、十六、七人ばかりの人たちが彼を出迎えた。上町《かみまち》まで帰って行くと、問屋九太夫をはじめ、桝田屋《ますだや》、蓬莱屋《ほうらいや》、梅屋、いずれももう髪の白いそれらの村の長老たちが改まった顔つきで、馬籠の新しい駅長をそこに待ち受けていた。

       五

「あなたは勤王家ですか。」
「勤王家かとはなんだい。」
「その方のお味方ですかッて、きいているんですよ。」
「お民、どうしてお前はそんなことをおれにきくんだい。」
 半蔵は本陣の奥の上段の間にいた。そこは諸大名が宿泊する部屋《へや》にあててあるところで、平素はめったに家のものもはいらない。お民は仲の間の方から、そこに片づけものをしている夫《おっと》を見に来た時だ。
「どうしてということもありませんけれど、」とお民は言った。「お母《っか》さんがそんなことを言ってましたから。」
 半蔵は妻の顔をながめながら、「おれは勤王なんてことをめったに口にしたこともない。今日、自分で勤王家だなんて言う人の顔を見ると、おれはふき出したくなる。そういう人は勤王を売る人だよ。ごらんな――ほんとうに勤王に志してるものなら、かるがるしくそんなことの言えるはずもない。」
「わたしはちょっときいて見たんですよ――お母《っか》さんがそんなことを言っていましたからね。」
「だからさ、お前もそんなことを口にするんじゃないよ。」
 お民は周囲を見回した。そこは北向きで、広い床の間から白地に雲形を織り出した高麗縁《こうらいべり》の畳の上まで、茶室のような静かさ厳粛さがある。厚い壁を隔てて、街道の方の騒がしい物音もしない。部屋から見える坪庭には、山一つ隔てた妻籠《つまご》より温暖《あたたか》な冬が来ている。
「そう言えば、これは別の話ですけれど、こないだ兄さん(寿平次)が来た時に、わたしにそう言っていましたよ――平田先生の御門人は、幕府方から目をつけられているようだから、気をおつけッて。」
「へえ、寿平次さんはそんなことを言っていたかい。」
 将軍|上洛《じょうらく》の前触れと共に、京都の方へ先行してその準備をしようとする一橋慶喜《ひとつばしよしのぶ》の通行筋はやはりこの木曾街道で、旧暦十月八日に江戸|発駕《はつが》という日取りの通知まで来ているころだった。道橋の見分に、宿割《しゅくわり》に、その方の役人はすでに何回となく馬籠へも入り込んで来た。半蔵はこの山家に一橋公を迎える日のあるかと想《おも》って見て、上段の間を歩き回っていた。
「どれ、お大根でも干して。」
 お民は出て行った。山家では沢庵漬《たくあんづ》けの用意なぞにいそがしかった。いずれももう冬じたくだ。野菜を貯《たくわ》えたり、赤蕪《あかかぶ》を漬《つ》けたりすることは、半蔵の家でも年中行事の一つのようになっていた。その時、半蔵は妻を見送ったあとで、彼女のそこに残して置いて行った言葉を考えて見た。深い窓にのみこもり暮らしているような継母のおまんが、しかも「わたしはもうお婆《ばあ》さんだ」を口癖にしている五十四歳の婦人で、いつのまに彼の志を看破《みやぶ》ったろうとも考えて見た。その心持ちから、彼は一層あの賢い継母を畏《おそ》れた。
 数日の後、半蔵は江戸の道中奉行所《どうちゅうぶぎょうしょ》から来た通知を受け取って見て、一橋慶喜の上京がにわかに東海道経由となったことを知った。道普請まで命ぜられた木曾路の通行は何かの都合で模様
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