や阿弥陀如来《あみだにょらい》の化身《けしん》だとされていますよ。神仏はこんなに混淆《こんこう》されてしまった。」
「あなたがたはまだ若いな。」と九太夫の声が言う。「そりゃ権現《ごんげん》さまもあり、妙見《みょうけん》さまもあり、金毘羅《こんぴら》さまもある。神さまだか、仏さまだかわからないようなところは、いくらだってある。あらたかでありさえすれば、それでいいじゃありませんか。」
「ところが、わたしどもはそうは思わないんです。これが末世《まっせ》の証拠だと思うんです。金胎《こんたい》両部なぞの教えになると、実際ひどい。仏の力にすがることによって、はじめてこの国の神も救われると説くじゃありませんか。あれは実に神の冒涜《ぼうとく》というものです。どうしてみんなは、こう平気でいられるのか。話はすこし違いますが、嘉永六年に異国の船が初めて押し寄せて来た時は、わたしの二十三の歳《とし》でした。しかしあれを初めての黒船と思ったのは間違いでした。考えて見ると遠い昔から何艘《なんそう》の黒船がこの国に着いたかしれない。まあ、わたしどもに言わせると、伝教《でんぎょう》でも、空海《くうかい》でも――みんな、黒船ですよ。」
「どうも本陣の跡継ぎともあろうものが、こういう議論をする。そんなら、わたしは上の伏見屋へ行って聞いて見る。金兵衛さんはわたしの味方だ。お寺の世話をよくして来たのも、あの人だ。よろしいか、これだけのことは忘れないでくださいよ――馬籠の万福寺は、あなたの家の御先祖の青山道斎が建立したものですよ。」
この九太夫は、平素自分から、「馬籠の九太夫、贄川《にえがわ》の権太夫《ごんだゆう》」と言って、太夫を名のるものは木曾十一宿に二人しかないというほどの太夫自慢だ。それに本来なら、吉左衛門の家が今度の和宮様のお小休み所にあてられるところだが、それが普請中とあって、問屋分担の九太夫の家に振り向けられたというだけでも鼻息が荒い。
思わず寿平次は半蔵の声を聞いて、神葬祭の一条が平田|篤胤《あつたね》没後の諸門人から出た改革意見であることを知った。彼は会所の周囲を往《い》ったり来たりして、そこを立ち去りかねていた。
その晩、お民は裏の土蔵の方で、夫の帰りを待っていた。山家にはめずらしく蒸し暑い晩で、両親が寝泊まりする味噌納屋の二階の方でもまだ雨戸が明いていた。
「あなた、大変おそかったじゃありませんか。」
と言いながら、お民は会所の方からぶらりと戻《もど》って来た夫《おっと》を土蔵の入り口のところに迎えた。火災後の仮住居《かりずまい》で、二人ある子供のうち姉のお粂は納屋の二階の方へ寝に行き、弟の宗太だけがそこによく眠っている。子供の枕《まくら》もとには昔風な行燈《あんどん》なぞも置いてある。お民は用意して待っていた山家風なネブ茶に湯をついだ。それを夫にすすめた。
その時、半蔵は子供の寝顔をちょっとのぞきに行ったあとで、熱いネブ茶に咽喉《のど》をうるおしながら言った。「なに、神葬祭のことで、すこしばかり九太夫さんとやり合った。壁をたたくものは手が痛いぐらいはおれも承知してるが、あんまり九太夫さんがわからないから。あの人は大変な立腹で、福島へ出張して申し開きをするなんて、そう言って、金兵衛さんのところへ出かけて行ったよ。でも、伊之助さんがそばにいて、おれの加勢をしてくれたのは、ありがたかった。あの人は頼もしいぞ。」
一年のうちの最も短い夜はふけやすいころだった。お民の懐妊はまだ目だつほどでもなかったが、それでもからだをだるそうにして、夫より先に宗太のそばへ横になりに行った。妻にも知らせまいとするその晩の半蔵が興奮は容易に去らない。彼は土蔵の入り口に近くいて、石段の前の柿《かき》の木から通って来る夜風を楽しみながらひとり起きていた。そのうちに、お民も眠りがたいかして、寝衣《ねまき》のままでまた夫のそばへ来た。
「お民、お前はもっとからだをだいじにしなくてもいいのかい。」
「妻籠《つまご》でもそんなことを言われて来ましたっけ。」
「そう言えば、妻籠ではどんな話が出たね。」
「馬籠のお父《とっ》さんと半蔵さんとは、よい親子ですって。」
「そうかなあ。」
「兄さんも、わたしも、親には早く別れましたからね。」
「何かい。神葬祭の話は出なかったかい。」
「わたしは何も聞きません。兄さんがこんなことは言っていましたよ――半蔵さんも夢の多い人ですって。」
「へえ、おれは自分じゃ、夢がすくなさ過ぎると思うんだが――夢のない人の生涯《しょうがい》ほど味気《あじき》ないものはない、とおれは思うんだが。」
「ねえ、あなたが中津川の香蔵さんと話すのをそばで聞いていますと、吾家《うち》の兄さんと話すのとは違いますねえ。」
「そりゃ、お前、香蔵さんとおれとは同じだもの
前へ
次へ
全119ページ中85ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング