ありがたく畏《おそ》れ奉って、引き下がって来たなんて、あとでその話が出ましたっけ。」
 そこは味噌納屋の二階だ。大火以来、吉左衛門夫婦が孫を連れて仮住居《かりずまい》しているところだ。寿平次はその遠慮から、夕飯の馳走《ちそう》になった礼を述べ、同じ焼け出された仲間でも上の伏見屋というもののある金兵衛の仮宅の方へ行って泊めてもらおうとした。
「どうもまだわたしも、お年貢《ねんぐ》の納め時《どき》が来ないと見えますよ。」
 と言いながら、吉左衛門は梯子段《はしごだん》の下まで寿平次を送りに降りた。夕方の空に光を放つ星のすがたを見つけて、それを何かの暗示に結びつけるように、寿平次にさして見せた。
「箒星《ほうきぼし》ですよ。午年《うまどし》に北の方へ出たのも、あのとおりでしたよ。どうも年回りがよくないと見える。」
 この吉左衛門の言葉を聞き捨てて、寿平次は味噌納屋の前から同じ屋敷つづきの暗い石段を上った。月はまだ出なかったが、星があって涼しい。例の新築された会所のそばを通り過ぎようとすると、表には板庇《いたびさし》があって、入り口の障子《しょうじ》も明いている。寿平次は足をとめて、思わずハッとした。
「どうも半蔵さんばかりじゃなく、伊之助さんまでが賛成だとは意外だ。」
「でも結果から見て悪いと知ったことは、改めるのが至当ですよ。」
 こんな声が手に取るように聞こえる。宿役人の詰め所には人が集まると見えて、灯《ひ》がもれている。何かがそこで言い争われている。
「そんなことで、先祖以来の祭り事を改めるという理由にはなりませんよ。」
「しかし、人の心を改めるには、どうしてもその源《みなもと》から改めてかからんことにはだめだと思いますね。」
「それは理屈だ。」
「そんなら、六十九人もの破戒僧が珠数《じゅず》つなぎにされて、江戸の吉原《よしわら》や、深川《ふかがわ》や、品川|新宿《しんじゅく》のようなところへ出入《ではい》りするというかどで、あの日本橋で面《かお》を晒《さら》された上に、一か寺の住職は島流しになるし、所化《しょけ》の坊主は寺法によって罰せられたというのは。」
 神葬祭の一条に関する賛否の意見がそこに戦わされているのだ。賛成者は半蔵や伊之助のような若手で、不賛成を唱えるのは馬籠の問屋九太夫らしい。
「お寺とさえ言えば、むやみとありがたいところのように思って、昔からたくさんな土地を寄付したり、先祖の位牌《いはい》を任せたり、宗門帳まで預けたりして、その結果はすこしも措《お》いて問わないんです。」とは半蔵の声だ。
「これは聞きものだ。」九太夫の声で。
 半蔵の意見にも相応の理由はある。彼に言わせると、あの聖徳太子が仏教をさかんに弘《ひろ》めたもうてからは、代々の帝《みかど》がみな法師を尊信し、大寺《だいじ》大伽藍《だいがらん》を建てさせ、天下の財用を尽くして御信心が篤《あつ》かったが、しかし法師の方でその本分を尽くしてこれほどの国家の厚意に報いたとは見えない。あまつさえ、後には山法師などという手合いが日吉《ひえ》七社の神輿《みこし》をかつぎ出して京都の市中を騒がし、あるいは大寺と大寺とが戦争して人を殺したり火を放ったりしたことは数え切れないほどある。平安期以来の皇族|公卿《くげ》たちは多く仏門に帰依《きえ》せられ、出世間《しゅつせけん》の道を願われ、ただただこの世を悲しまれるばかりであったから、救いのない人の心は次第に皇室を離れて、ことごとく武士の威力の前に屈服するようになった。今はこの国に仏寺も多く、御朱印《ごしゅいん》といい諸大名の寄付といって、寺領となっている土地も広大なものだ。そこに住む出家、比丘尼《びくに》、だいこく、所化《しょけ》、男色の美少年、その他|青侍《あおざむらい》にいたるまで、田畑を耕すこともなくて上白《じょうはく》の飯を食い、糸を採り機《はた》を織ることもなくてよい衣裳《いしょう》を着る。諸国の百姓がどんなに困窮しても、寺納を減らして貧民を救おうと思う和尚《おしょう》はない。凶年なぞには別して多く米銭を集めて寺を富まそうとする。百姓に餓死するものはあっても、餓死した僧のあったと聞いたためしはない。長い習慣はおそろしいもので、全国を通じたら何百万からのそれらの人たちが寺院に遊食していても、あたりまえのことのように思われて来た。これはあまりに多くを許し過ぎた結果である。そこで、祭葬のことを寺院から取り戻《もど》して、古式に復したら、もっとみんなの目もさめようと言うのである。
「今日《こんにち》ほど宗教の濁ってしまった時代もめずらしい。」とまた半蔵の声で、「まあ、諸国の神宮寺《じんぐうじ》なぞをのぞいてごらんなさい。本地垂跡《ほんじすいじゃく》なぞということが唱えられてから、この国の神は大日如来《だいにちにょらい》
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