うな半蔵らには、その辺を他の海岸に比べて言うこともできなかったが、大島小島の多い三浦半島の海岸に沿うて旅を続けていることを想《おも》って見ることはできた。ある岬《みさき》のかげまで行った。海岸の方へ伸びて来ている山のふところに抱かれたような位置に、横須賀の港が隠れていた。
公郷村《くごうむら》とは、船の着いた漁師町《りょうしまち》から物の半道と隔たっていなかった。半蔵らは横須賀まで行って、山上のうわさを耳にした。公郷村に古い屋敷と言えば、土地の漁師にまでよく知られていた。三人がはるばる尋ねて行ったところは、木曾の山の中で想像したとは大違いなところだ。長閑《のどか》なことも想像以上だ。ほのかな鶏の声が聞こえて、漁師たちの住む家々の屋根からは静かに立ちのぼる煙を見るような仙郷《せんきょう》だ。
妻籠《つまご》本陣青山寿平次殿へ、短刀一本。ただし、古刀。銘なし。馬籠《まごめ》本陣青山半蔵殿へ、蓬莱《ほうらい》の図掛け物一軸。ただし、光琳《こうりん》筆。山上家の当主、七郎左衛門は公郷村の住居《すまい》の方にいて、こんな記念の二品までも用意しながら、二人《ふたり》の珍客を今か今かと待ち受けていた。
「もうお客さまも見えそうなものだぞ。だれかそこいらまで見に行って来い。」
と家に使っている男衆に声をかけた。
半蔵らが百里の道も遠しとしないで尋ねて来るという報知《しらせ》は七郎左衛門をじっとさせて置かなかった。彼は古い大きな住宅の持ち主で、二十畳からある広間を奥の方へ通り抜け、人|一人《ひとり》隠れられるほどの太い大極柱《だいこくばしら》のわきを回って、十五畳、十畳と二|部屋《へや》続いた奥座敷のなかをあちこちと静かに歩いた。そこは彼が客をもてなすために用意して待っていたところだ。心をこめた記念の二品は三宝《さんぽう》に載せて床の間に置いてある。先祖伝来の軸物などは客待ち顔に壁の上に掛かっている。
七郎左衛門の家には、三浦氏から山上氏、山上氏から青山氏と分かれて行ったくわしい系図をはじめ、祖先らの遺物と伝えらるる古い直垂《ひたたれ》から、武具、書画、陶器の類《たぐい》まで、何百年となく保存されて来たものはかなり多い。彼が客に見せたいと思う古文書なぞは、取り出したら際限《きり》のないほど長櫃《ながびつ》の底に埋《うず》まっている。あれもこれもと思う心で、彼は奥座敷から古い庭の見える方へ行った。松林の多い裏山つづきに樹木をあしらった昔の人の意匠がそこにある。硬質な岩の間に躑躅《つつじ》、楓《かえで》なぞを配置した苔蒸《こけむ》した築山《つきやま》がそこにある。どっしりとした古風な石燈籠《いしどうろう》が一つ置いてあって、その辺には円《まる》く厚ぼったい「つわぶき」なぞも集めてある。遠い祖先の昔はまだそんなところに残って、子孫の目の前に息づいているかのようでもある。
「まあ、客が来たら、この庭でも見て行ってもらおう。これは自分が子供の時分からながめて来た庭だ。あの時分からほとんど変わらない庭だ。」
こんなことを思いながら待ち受けているところへ、半蔵と寿平次の二人が佐吉を供に連れて着いた。その時、七郎左衛門は家のものを呼んで袴《はかま》を持って来させ、その上に短い羽織を着て、古い鎗《やり》なぞの正面の壁の上に掛かっている玄関まで出て迎えた。
「これは。これは。」
七郎左衛門は驚きに近いほどのよろこびのこもった調子で言った。
「これ、お供の衆。まあ草鞋《わらじ》でも脱いで、上がってください。」
と彼の家内《かない》までそこへ出て言葉を添える。案内顔な主人のあとについて、寿平次は改まった顔つき、半蔵も眉《まゆ》をあげながら奥の方へ通ったあとで、佐吉は二人の脱いだ草鞋の紐《ひも》など結び合わせた。
やがて、奥座敷では主人と寿平次との一別以来の挨拶《あいさつ》、半蔵との初対面の挨拶なぞがあった。主人の引き合わせで、幾人の家の人が半蔵らのところへ挨拶に来るとも知れなかった。これは忰《せがれ》、これはその弟、これは嫁、と主人の引き合わせが済んだあとには、まだ幼い子供たちが目を円《まる》くしながら、かわるがわるそこへお辞儀をしに出て来た。
「青山さん、わたしどもには三夫婦もそろっていますよ。」
この七郎左衛門の言葉がまず半蔵らを驚かした。
古式を重んずる※[#「肄のへん+欠」、第3水準1−86−31]待《もてなし》のありさまが、間もなくそこにひらけた。土器《かわらけ》なぞを三宝の上に載せ、挨拶かたがたはいって来る髪の白いおばあさんの後ろからは、十六、七ばかりの孫娘が瓶子《へいじ》を運んで来た。
「おゝ、おゝ、よい子息《むすこ》さんがただ。」
とおばあさんは半蔵の前にも、寿平次の前にも挨拶に来た。
「とりあえず一つお受けください。」
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