》だなんて、早いものですね。わたしもこれで、平素《ふだん》はそれほどにも思いませんが、こんな話が持ち上がると、自分でも年を取ったかと思いますよ。」
「なにしろ、吉左衛門さんもお大抵じゃない。あなたのところのお嫁取りなんて、御本陣と御本陣の御婚礼ですからねえ。」
「半蔵さま――お前さまのところへは、妻籠の御本陣からお嫁さまが来《こ》さっせるそうだなし。お前さまも大きくならっせいたものだ。」
半蔵のところへは、こんなことを言いに寄る出入りのおふき婆《ばあ》さんもある。おふきは乳母《うば》として、幼い時分の半蔵の世話をした女だ。まだちいさかったころの半蔵を抱き、その背中に載せて、歩いたりしたのもこの女だ。半蔵の縁談がまとまったことは、本陣へ出入りの百姓のだれにもまして、この婆さんをよろこばせた。
おふきはまた、今の本陣の「姉《あね》さま」(おまん)のいないところで、半蔵のそばへ来て歯のかけた声で言った。
「半蔵さま、お前さまは何も知らっせまいが、おれはお前さまのお母《っか》様をよく覚えている。お袖《そで》さま――美しい人だったぞなし。あれほどの容色《きりょう》は江戸にもないと言って、通る旅の衆が評判したくらいの人だったぞなし。あのお袖さまが煩《わずら》って亡《な》くなったのは、あれはお前さまを生んでから二十日《はつか》ばかり過ぎだったずら。おれはお前さまを抱いて、お母《っか》さまの枕《まくら》もとへ連れて行ったことがある。あれがお別れだった。三十二の歳《とし》の惜しい盛りよなし。それから、お前さまはまた、間もなく黄疸《おうだん》を病《や》まっせる。あの時は助かるまいと言われたくらいよなし。大旦那《おおだんな》(吉左衛門)の御苦労も一通りじゃあらすか。あのお母《っか》さまが今まで達者《たっしゃ》でいて、今度のお嫁取りの話なぞを聞かっせいたら、どんなだずら――」
半蔵も生みの母を想像する年ごろに達していた。また、一人《ひとり》で両親を兼ねたような父吉左衛門が養育の辛苦を想像する年ごろにも達していた。しかしこのおふき婆さんを見るたびに、多く思い出すのは少年の日のことであった。子供の時分の彼が、あれが好きだったとか、これが好きだったとか、そんな食物のことをよく覚えていて、木曾の焼き米の青いにおい、蕎麦粉《そばこ》と里芋《さといも》の子で造る芋焼餅《いもやきもち》なぞを数
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