をしないでくれたまえよ。」
勝重はうなずいた。
神前へのお初穂《はつほ》、供米《くまい》、その他、着がえの清潔な行衣《ぎょうい》なぞを持って、半蔵は勝重と一緒に里宮の方へ歩いた。
梅の咲く禰宜《ねぎ》の家から社殿までの間は坂になった細道で、王滝口よりする御嶽参道に続いている。その細道を踏んで行くだけでも、ひとりでに参詣者の心の澄むようなところだ。山中の朝は、空に浮かぶ雲の色までだんだん白く光って来て、すがすがしい。坂道を登るにつれて、霞《かす》み渡った大きな谷間が二人《ふたり》の目の下にあるようになった。
「お師匠さま、雉子《きじ》が鳴いていますよ。」
「あの覚明《かくみょう》行者や普寛《ふかん》行者なぞが登ったころには、どんなだったろうね。わたしはあの行者たちが最初の登山をした人たちかとばかり思っていた。ここの禰宜さまの話で見ると、そうじゃないんだね。講中《こうじゅう》というものを組織して、この山へ導いて来たのがあの人たちなんだね。」
二人は話し話し登った。新しい石の大鳥居で、その前年(文久二年)に尾州公《びしゅうこう》から寄進になったというものの前まで行くと、半蔵らは向こうの山道から降りて来る一人の修行者にもあった。珠数《じゅず》を首にかけ、手に杖《つえ》をつき見るからに荒々しい姿だ。肉体を苦しめられるだけ苦しめているような人の相貌《そうぼう》だ。どこの岩窟《がんくつ》の間から出て来たか、雪のある山腹の方からでも降りて来たかというふうで、山にはこんな人が生きているのかということが、半蔵を驚かした。
間もなく半蔵らは、十六階もしくは二十階ずつから成る二町ほどの長い石段にかかった。見上げるように高い岩壁を背後《うしろ》にして、里宮の社殿がその上に建てられてある。黒々とした残雪の見られる谷間の傾斜と、小暗《おぐら》い杉《すぎ》や檜《ひのき》の木立《こだ》ちとにとりまかれたその一区域こそ、半蔵が父の病を祷《いの》るためにやって来たところだ。先師の遺著の題目そのままともいうべきところだ。文字どおりの「静《しず》の岩屋《いわや》」だ。
とうとう、半蔵は本殿の奥の霊廟《れいびょう》の前にひざまずき、かねて用意して来た自作の陳情|祈祷《きとう》の歌をささげることができた。他の無言な参籠者《さんろうしゃ》の間に身を置いて、社殿の片すみに、そこに置いてある円《ま
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