言って、二人してその掛け物の前に立った。全く神仏を混淆《こんこう》してしまったような床の間の飾り付けが、まず半蔵をまごつかせた。
しかし、気の置けない宿だ。ここにはくたぶれて来た旅人や参詣者《さんけいしゃ》なぞを親切にもてなす家族が住む。当主の禰宜《ねぎ》で十七、八代にもなるような古い家族の住むところでもある。髯《ひげ》の白いお爺《じい》さん、そのまたお婆《ばあ》さん、幾人《いくたり》の古い人たちがこの屋根の下に生きながらえているとも知れない。主人の宮下はちょいちょい半蔵を見に来て、風呂《ふろ》も山家での馳走《ちそう》の一つと言って勧めてくれる。七月下旬の山開きの日を待たなければ講中も入り込んで来ない、今は谷もさびしい、それでも正月十五日より二月十五日に至る大寒の季節をしのいでの寒詣《かんもう》でに続いて、ぽつぽつ祈願をこめに来る参詣者が絶えない、と言って見せるのも主人だ。行者や中座《なかざ》に引率されて来る諸国の講中が、吹き立てる法螺《ほら》の貝の音と共に、この谷間に活気をそそぎ入れる夏季の光景は見せたいようだ、と言って見せるのもまた主人だ。
夕飯後に、主人はまた半蔵を見に来て言った。
「それじゃ、御参籠《ごさんろう》はあすからとなさいますか。ここに来ている間、塩断《しおだ》ちをなさるかたがあり、五穀をお断ちになるかたがあり、精進潔斎《しょうじんけっさい》もいろいろです。火の気を一切おつかいにならないで、水でといた蕎麦粉《そばこ》に、果実《くだもの》ぐらいで済ませ、木食《もくじき》の行《ぎょう》をなさるかたもあります。まあ、三度の食は一度ぐらいになすって、なるべく六根《ろっこん》を清浄にして、雑念を防ぎさえすれば、それでいいわけですね。」
ようやく。そうだ、ようやく半蔵は騒ぎやすい心をおちつけるにいいような山里の中の山里とも言うべきところに身を置くことができた。王滝はことに夜の感じが深い。暗い谷底の方に燈火《あかり》のもれる民家、川の流れを中心にわき立つ夜の靄《もや》、すべてがひっそりとしていた。旧暦四月のおぼろ月のあるころに、この静かな森林地帯へやって来たことも、半蔵をよろこばせた。
半蔵が連れて来た勝重は、美濃落合の稲葉屋から内弟子《うちでし》として預かってからもはや三年になる。短い袴《はかま》に、前髪をとって、せっせと本を読んでいた勝重も、いつの
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