》行きとは、それでも御苦労さまだ。山はまだ雪で、登れますまいに。」
「えゝ、三合目までもむずかしい。王滝まで行って、あそこの里で二、三日|参籠《さんろう》して来ますよ。」
「馬籠のお父《とっ》さんはまだそんなですかい。君も心配ですね。そう言えば、半蔵さん、江戸の方の様子は君もお聞きでしたろう。」
「こんなことになるんじゃないかと思って、わたしは心配していました。」
「それさ。イギリスの軍艦が来て江戸は大騒ぎだそうですね。来月の八日とかが返答の期限だと言うじゃありませんか。これは結局、償金を払わせられることになりましょうね。むやみと攘夷《じょうい》なんてことを煽《あお》り立てるものがあるから、こんな目にあう。そりゃ攘夷党だって、国を憂えるところから動いているには相違ないでしょうが、しかしわたしにはあのお仲間の気が知れない。いったい、外交の問題と国内の政事をこんなに混同してしまってもいいものでしょうかね。」
「さあねえ。」
「半蔵さん、これでわたしが庄屋の家に生まれなかったら、今ごろは京都の方へでも飛んで行って、鎖港攘夷だなんて押し歩いているかもしれませんよ。街道がどうなろうと、みんながどう難儀をしようと、そんなことにおかまいなしでいられるくらいなら、もともと何も心配することはなかったんです。」
妻籠の宿はずれのところまでついて来た寿平次とも別れて、さらに半蔵らは奥筋へと街道を進んだ。翌日は早く須原をたち、道を急いで、昼ごろには桟《かけはし》まで行った。雪解《ゆきげ》の水をあつめた木曾川は、渦《うず》を巻いて、無数の岩石の間に流れて来ている。休むにいい茶屋もある。鶯《うぐいす》も鳴く。王滝口への山道はその対岸にあった。御嶽登山をこころざすものはその道を取っても、越立《こしだち》、下条《しもじょう》、黒田なぞの山村を経て、常磐《ときわ》の渡しの付近に達することができた。
間もなく半蔵らは街道を離れて、山間《やまあい》に深い林をつくる谷に分け入った。檜《ひのき》、欅《けやき》にまじる雑木も芽吹きの時で、さわやかな緑が行く先によみがえっていた。王滝川はこの谷間を流れる木曾川の支流である。登り一里という沢渡峠《さわどとうげ》まで行くと、遙拝所《ようはいじょ》がその上にあって、麻利支天《まりしてん》から奥の院までの御嶽全山が遠く高く容《かたち》をあらわしていた。
「勝重さ
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