しぐれ》の音の来るころには、やがて馬籠から行った惣代の一人、桝田屋《ますだや》の相続人小左衛門、それに下男の佐吉なぞと共に、一同連れだって福島からの帰路につく人たちであった。彼が奥筋から妻籠まで引き返して来ると、そこの本陣に寿平次が待ち受けていて、一緒に馬籠まで行こうという。
「寿平次さん、とうとうわたしも君たちのお仲間入りをしちまいましたよ。」
「みんなで寄ってたかって、半蔵さんを庄屋にしないじゃ置かないんです。お父《とっ》さんも、さぞお喜びでしょう。」
寿平次も笑ったり、祝ったりした。
宮様御降嫁の当時、公武一和の説を抱いて供奉《ぐぶ》の列の中にあった岩倉、千種《ちぐさ》、富小路《とみのこうじ》の三人の公卿《くげ》が近く差し控えを命ぜられ、つづいて蟄居《ちっきょ》を命ぜられ、すでに落飾《らくしょく》の境涯《きょうがい》にあるというほど一変した京都の方の様子も深く心にかかりながら、半蔵は妻籠本陣に一晩泊まったあとで、また連れと一緒に街道を踏んで行った。妻籠からは、彼は自分を待ち受けてくれる人たちにと思って、念のために帰宅を報じて置いた。
寿平次を加えてからの帰路は、一層半蔵に別な心持ちを起こさせた。大橋を渡り、橋場というところを過ぎて、下《くだ》り谷《だに》にかかった。歩けば歩くほど新生活のかどでにあるような、ある意識が彼の内部《なか》にさめて行った。
「寿平次さん、君の方へは何か最近に来た便《たよ》りがありますか――江戸からでも。」
「さあ、最近に驚かされたと言えば、生麦《なまむぎ》事件ぐらいのものです。」
「あの報知《しらせ》はわたしの方へも早く来ました。ほら、横須賀《よこすか》の旅に、あの辺は君と二人で歩いて通ったところなんですがね。」
武州の生麦と言えば、勅使に随行した島津久光の一行、その帰国を急ぐ途中での八月二十一日あたりの出来事は江戸の方から知れて来ていた。あの英人の殺傷事件を想像しながら、木曾の尾垂《おたる》の沢深い山間《やまあい》を歩いて行くのは薄気味悪くもあるほど、まだそのうわさは半蔵らの記憶になまなましい。
「寿平次さん、わたしはそれよりも、あの薩摩《さつま》の同勢の急いで帰ったというのが気になりますよ。あれほどの事件が途中で起こったというのに、それをうっちゃらかして置いて行くくらいですからね。京都の方はどうでしょう。それほど雲行きが変
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