は、木曾寄せの人足が七百三十人、伊那の助郷が千七百七十人、この人数を合わせると二千五百人からの人足が出ましたぜ。あの時、馬籠の宿場に集まった馬の数が百八十匹だったと思う。あれほどの御通行でも和宮さまの場合とはとうてい比べものにならない。今度のような大きな御通行は、わたしは古老の話にも聞いたことがない。」
「どうです。金兵衛さん、これこそ前代未聞でしょう。」
と混ぜ返すものがある。金兵衛は首を振って、
「いや、前代未聞どころか、この世初まって以来の大御通行だ。」
聞いているものは皆笑った。
いつのまにか吉左衛門は高いびきだ。彼はその部屋《へや》の片すみに横になって、まるで死んだようになってしまった。
その時になって見ると、美濃路から木曾へかけてのお継ぎ所でほとんど満足なところはなかった。会所という会所は、あるいは損じ、あるいは破れた。これは道中奉行所の役人も、尾州方の役人も、ひとしく目撃したところである。中津川、三留野の両宿にたくさんな死傷者もできた。街道には、途中で行き倒れになった人足の死体も多く発見された。
御通行後の二日目は、和宮様の御一行も福島、藪原《やぶはら》を過ぎ、鳥居峠《とりいとうげ》を越え、奈良井《ならい》宿お小休み、贄川宿《にえがわじゅく》御昼食の日取りである。半蔵と伊之助の二人は連れだって、その日三留野お継ぎ所の方から馬籠へ引き取って来た。伊之助は伊那助郷の担当役、半蔵も父の名代として、いろいろとあと始末をして来た。ちょうど吉左衛門は上の伏見屋に老友金兵衛を訪《たず》ねに行っていて、二人|茶漬《ちゃづ》けを食いながら、話し込んでいるところだった。そこへ半蔵と伊之助とが帰って来た。
その時だ。伊之助は声を潜めながら、木曾の下四宿から京都方の役人への祝儀として、先方の求めにより二百二十両の金を差し出したことを語った。祝儀金とは名ばかり、これはいかにも無念千万のことであると言って、お継ぎ所に来ていた福島方の役人衆までが口唇《くちびる》をかんだことを語った。伊那助郷の交渉をはじめ、越後《えちご》、越中《えっちゅう》の人足の世話から、御一行を迎えるまでの各宿の人々の心労と尽力とを見る目があったら、いかに強欲《ごうよく》な京都方の役人でもこんな暗い手は出せなかったはずであると語った。
「御通行のどさくさに紛れて、祝儀金を巻き揚げて行くとは――実に、
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