旅人の通行を禁止するほどの警戒ぶりだ。
 九つ半時に、姫君を乗せたお輿《こし》は軍旅のごときいでたちの面々に前後を護《まも》られながら、雨中の街道を通った。いかめしい鉄砲、纏《まとい》、馬簾《ばれん》の陣立ては、ほとんど戦時に異ならなかった。供奉《ぐぶ》の御同勢はいずれも陣笠《じんがさ》、腰弁当で、供男一人ずつ連れながら、そのあとに随《したが》った。中山|大納言《だいなごん》、菊亭《きくてい》中納言、千種少将《ちぐさのしょうしょう》(有文)、岩倉少将(具視《ともみ》)、その他宰相の典侍《てんじ》、命婦能登《みょうぶのと》などが供奉の人々の中にあった。京都の町奉行|関出雲守《せきいずものかみ》がお輿《こし》の先を警護し、お迎えとして江戸から上京した若年寄《わかどしより》加納遠江守《かのうとおとうみのかみ》、それに老女らもお供をした。これらの御行列が動いて行った時は、馬籠の宿場も暗くなるほどで、その日の夜に入るまで駅路に人の動きの絶えることもなかった。


「いや、御苦労、御苦労。」
 御通行の翌日、吉左衛門は三留野《みどの》のお継ぎ所の方へ行く尾州の竹腰山城守を見送ったあとで、いろいろあと始末をするため会所のなかにある宿役人の詰め所にいた。吉左衛門はそこにいる人たちをねぎらうばかりでなく、自分で自分に言うように、
「御苦労、御苦労。」を繰り返した。
 連日の過労に加えて、その日も朝から雨だ。一同は疲れて、一人として行儀よくしているものもない。そこには金兵衛もいて、長い街道の世話を思い出したように、
「吉左衛門さんは御存じだが、わたしたちが覚えてから大きな御通行というものは、この街道に三度ありましたよ。一度は水戸《みと》の姫君さまのお輿入《こしい》れの時。一度は尾州の先の殿様が江戸でお亡《な》くなりになって、その御遺骸《ごいがい》がこの街道を通った時。今一度は例の黒船騒ぎで、交易を許すか許さないかの大評定《だいひょうじょう》で、尾州の殿様(徳川|慶勝《よしかつ》)の御出府の時。あの先の殿様の時は、木曾谷中から寄せた七百三十人の人足でも手が足りなくて、伊那の助郷《すけごう》が千人あまりも出ました。諸方から集めた馬の数が二百二十匹さ。」
「金兵衛さんはなかなか覚えがいい。」と畳の上に頬杖《ほおづえ》つきながら言うものがある。
「まあ、お聞きなさい。今の殿様が江戸へ御出府の時
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