》直したびてな
眼《め》のまへに始むることもよくしあらば[#「よくしあらば」は底本では「よくあらば」]惑ふことなくなすべかりけり
正道《まさみち》に入り立つ徒《とも》よおほかたのほまれそしりはものならなくに
[#ここで字下げ終わり]
半蔵の述懐だ。
三
旧暦九月も末になって、馬籠峠へは小鳥の来るころになった。もはや和宮様お迎えの同勢が関東から京都の方へ向けて、毎日のようにこの街道を通る。そうなると、定例の人足だけでは継立《つぎた》ても行き届かない。道中奉行所の小笠原美濃守《おがさわらみののかみ》は公役としてすでに宿々の見分に来た。
十月にはいってからは、御通行準備のために奔走する人たちが一層半蔵の目につくようになった。尾州方《びしゅうかた》の役人は美濃路から急いで来る。上松《あげまつ》の庄屋は中津川へ行く。早駕籠《はやかご》で、夜中に馬籠へ着くものすらある。尾州の領分からは、千人もの人足が隣宿美濃|落合《おちあい》のお継《つ》ぎ所《しょ》(継立ての場所)へ詰めることになって、ひどい吹き降《ぶ》りの中を人馬共にあの峠の下へ着いたとの報知《しらせ》もある。
「半蔵、どうも人足や馬が足りそうもない。おれはこれから中津川へ打ち合わせに行って、それから京都まで出かけて行って来るよ。」
「お父《とっ》さん、大丈夫ですかね。」
親子はこんな言葉をかわした。道中奉行所から渡された御印書によって、越後《えちご》越中《えっちゅう》の方面からも六十六万石の高に相当する人足がこの御通行筋へ加勢に来ることになったが、よく調べて見ると、それでも足りそうもないと言う父の話は半蔵を驚かした。
「美濃の方じゃ、お前、伊勢路《いせじ》からも人足を許されて、もう触れ当てに出かけたものもあるというよ。美濃の鵜沼宿《うぬましゅく》から信州|本山《もとやま》まで、どうしても人足は通しにするよりほかに方法がない。おれは京都まで御奉行様のあとを追って行って、それをお願いして来る。おれも今度は最後の御奉公のつもりだよ。」
この年老いた父の奮発が、半蔵にはひどく案じられてならなかった。そうかと言って、彼が父に代わられる場合でもない。街道には街道で、彼を待っている仕事も多かった。その時、継母のおまんも父のそばに来て、
「あなたも御苦労さまです。ほんとに、万事大騒動になりましたよ。」
と案じ
前へ
次へ
全237ページ中172ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング