に、「わたしも今それを言おうと思っていたところさ。」
 アトリ三十羽に茶漬け三杯。あれは嘉永《かえい》二年にあたる。山里では小鳥のおびただしく捕《と》れた年で、ことに大平村《おおだいらむら》の方では毎日三千羽ずつものアトリが驚くほど鳥網にかかると言われ、この馬籠の宿までたびたび売りに来るものがあった。小鳥の名所として土地のものが誇る木曾の山の中でも、あんな年はめったにあるものでなかった。仲間のものが集まって、一興を催すことにしたのもその時だ。そのアトリ三十羽に、茶漬け三杯食えば、褒美《ほうび》として別に三十羽もらえる。もしまた、その三十羽と茶漬け三杯食えなかった時は、あべこべに六十羽差し出さなければならないという約束だ。場処は蓬莱屋《ほうらいや》。時刻は七つ時《どき》。食い手は吉左衛門と金兵衛の二人。食わせる方のものは組頭《くみがしら》笹屋《ささや》の庄兵衛《しょうべえ》と小笹屋《こざさや》の勝七。それには勝負を見届けるものもなくてはならぬ。蓬莱屋の新七がその審判官を引き受けた。さて、食った。約束のとおり、一人で三十羽、茶漬け三杯、残らず食い終わって、褒美の三十羽ずつは吉左衛門と金兵衛とでもらった。アトリは形もちいさく、骨も柔らかく、鶫《つぐみ》のような小鳥とはわけが違う。それでもなかなか食いではあったが、二人とも腹もはらないで、その足で会所の店座敷へ押し掛けてたくさん茶を飲んだ。その時の二人の年齢もまた忘れられずにある。吉左衛門は五十一歳、金兵衛は五十三歳を迎えたことであった。二人はそれほど盛んな食欲を競い合ったものだ。
「あんなおもしろいことはなかった。」
「いや、大笑いにも、なんにも。あんなおもしろいことは前代|未聞《みもん》さ。」
「出ましたね、金兵衛さんの前代未聞が――」
 こんな話も酒の上を楽しくした。隣人同志でもあり、宿役人同志でもある二人の友だちは、しばらく街道から離れる思いで、尽きない夜咄《よばなし》に、とろろ汁に、夏の夜のふけやすいことも忘れていた。
 馬籠《まごめ》の宿《しゅく》で初めて酒を造ったのは、伏見屋でなくて、桝田屋《ますだや》であった。そこの初代と二代目の主人、惣右衛門《そうえもん》親子のものであった。桝田屋の親子が協力して水の量目を計ったところ、下坂川《おりさかがわ》で四百六十目、桝田屋の井戸で四百八十目、伏見屋の井戸で四百九十目あ
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