衛門さんはそう言うけれど、わたしはもっとからだを鍛えることを思いつきましたよ。ごらんなさい、こう乱脈な世の中になって来ては、蛮勇をふるい起こす必要がありますね。」
 寿平次は胸を張り、両手を高くさし延べながら、的に向かって深く息を吸い入れた。左手《ゆんで》の弓を押す力と、右手《めて》の弦をひき絞る力とで、見る見る血潮は彼の頬《ほお》に上り、腕の筋肉までが隆起して震えた。背こそ低いが、彼ももはや三十歳のさかりだ。馬籠の半蔵と競い合って、木曾の「山猿《やまざる》」を発揮しようという年ごろだ。そのそばに立っていて、混ぜ返すような声をかけるのは、寿平次から見れば小父《おじ》さんのような得右衛門である。
「ポツン。」
「そうはいかない。」


 とりあえず寿平次らは願書の草稿を作りにかかった。第一、伊那方面は当分たりとも増助郷《ましすけごう》にして、この急場を救い、あわせて百姓の負担を軽くしたい。次ぎに、御伝馬宿々については今回の御下向《ごげこう》のため人馬の継立《つぎた》て方《かた》も嵩《かさ》むから、その手当てとして一宿へ金百両ずつを貸し渡されるよう。ただし十か年賦にして返納する。当時米穀も払底で、御伝馬を勤めるものは皆難渋の際であるから、右百両の金子《きんす》で、米、稗《ひえ》、大豆を買い入れ、人馬役のものへ割り渡したい。一か宿、米五十|駄《だ》、稗《ひえ》五十駄ずつの御救助を仰ぎたい。願書の主意はこれらのことに尽きていた。
 下書きはできた。やがて、下四宿の宿役人は妻籠本陣に寄り合うことになった。馬籠からは年寄役金兵衛の名代として、養子伊之助が来た。寿平次、得右衛門、得右衛門が養子の実蔵《じつぞう》もそれに列席した。
「当分の増助郷《ましすけごう》は至極《しごく》もっともだとは思いますが、これが前例になったらどんなものでしょう。」
「さあ、こんな御通行はもう二度とはありますまいからね。」
 宿役人の間にはいろいろな意見が出た。その時、得右衛門は伊那の助郷総代の意向を伝え、こんな願書を差し出すのもやむを得ないと述べ、前途のことまで心配している場合でないと力説した。
「どうです、願書はこれでいいとしようじゃありませんか。」
 と伊之助が言い出して、各庄屋の調印を求めようということになった。

       二

 例のように寿平次は弓を手にして、裏庭の矢場に隠れていた。彼
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