たらしながら、半蔵が自分の家の入り口まで引き返して来た時は、ちょうど門内の庭|掃除《そうじ》に余念もない父を見た。
「半蔵が帰りましたよ。」
 おまんはだれよりも先に半蔵を見つけて、店座敷の前の牡丹《ぼたん》の下あたりを掃いている吉左衛門にそれを告げた。
「お父《とっ》さん、行ってまいりました。」
 半蔵は表庭の梨《なし》の木の幹に笠《かさ》を立てかけて置いて、汗をふいた。その時、簡単に、両村のものの和解をさせて来たあらましを父に告げた。双方入り合いの草刈り場所を定めたこと、新たに土塚《つちづか》を築いて境界をはっきりさせること、最寄《もよ》りの百姓ばかりがその辺へは鎌《かま》を入れることにして、一同福島から引き取って来たことを告げた。
「それはまあ、よかった。お前の帰りがおそいから心配していたよ。」
 と吉左衛門は庭の箒《ほうき》を手にしたままで言った。
 もはや秋も立つ。馬籠あたりに住むものがきびしい暑さを口にするころに、そこいらの石垣《いしがき》のそばでは蟋蟀《こおろぎ》が鳴いた。半蔵はその年の盆も福島の方で送って来て、さらに村民のために奔走しなければならないほどいそがしい思いをした。
 やがて両村立ち合いの上で、かねて争いの場処である草山に土塚を築《つ》き立てる日が来た。半蔵は馬籠の惣役人《そうやくにん》と、百姓|小前《こまえ》のものを連れて、草いきれのする夏山の道をたどった。湯舟沢からは、庄屋、組頭四人、百姓全部で、両村のものを合わせるとおよそ二百人あまりの人数が境界の地点と定めた深い沢に集まった。
「そんなとろくさいことじゃ、だちかん。」
「うんと高く土を盛れ。」
 半蔵の周囲には、口々に言いののしる百姓の声が起こる。
 四つの土塚がその境界に築《つ》き立てられることになった。あるものは洞《ほら》が根《ね》先の大石へ見通し、あるものは向こう根の松の木へ見通しというふうに。そこいらが掘り返されるたびに、生々《なまなま》しい土の臭気が半蔵の鼻をつく。工事が始まったのだ。両村の百姓は、藪蚊《やぶか》の襲い来るのも忘れて、いずれも土塚の周囲に集合していた。
 その時、背後《うしろ》から軽く半蔵の肩をたたくものがある。隣村|妻籠《つまご》の庄屋として立ち合いに来た寿平次が笑いながらそこに立っていた。


「寿平次さん、泊まっていったらどうです。」
「いや、きょうは
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