来た。
馬荷一|駄《だ》。それに寛斎と宰領とが付き添って、牡丹屋の門口を離れた。安兵衛や嘉吉はせめて宿《しゅく》はずれまで見送りたいと言って、一緒に滝の橋を渡り、オランダ領事館の国旗の出ている長延寺の前を通って、神奈川御台場の先までついて来た。
その時になって見ると、郷里の方にいる旧《ふる》い弟子《でし》たちの思惑《おもわく》もしきりに寛斎の心にかかって来た。彼が一歩《ひとあし》踏み出したところは、往来《ゆきき》するものの多い東海道だ。彼は老鶯《ろうおう》の世を忍ぶ風情《ふぜい》で、とぼとぼとした荷馬の※[#「くさかんむり/稾」、197−8]沓《わらぐつ》の音を聞きながら、遠く板橋回りで木曾街道に向かって行った。
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第五章
一
宮川寛斎《みやがわかんさい》が万屋《よろずや》の主人と手代とを神奈川《かながわ》に残して置いて帰国の途に上ったことは、早く美濃《みの》の方へ知れた。中津川も狭い土地だから、それがすぐ弟子《でし》仲間の香蔵や景蔵の耳に入り、半蔵はまた三里ほど離れた木曾《きそ》の馬籠《まごめ》の方で、旧《ふる》い師匠が板橋方面から木曾街道を帰って来ることを知った。
横浜開港の影響は諸国の街道筋にまであらわれて来るころだ。半蔵は馬籠の本陣にいて、すでに幾たびか銭相場引き上げの声を聞き、さらにまた小判《こばん》買いの声を聞くようになった。古二朱金、保字金なぞの当時に残存した古い金貨の買い占めは地方でも始まった。きのうは馬籠|桝田屋《ますだや》へ江州《ごうしゅう》辺の買い手が来て貯《たくわ》え置きの保金小判を一両につき一両三分までに買い入れて行ったとか、きょうは中津川|大和屋《やまとや》で百枚の保金小判を出して当時通用の新小判二百二十五両を請け取ったとか、そんなうわさが毎日のように半蔵の耳を打った。金一両で二両一分ずつの売買だ。それどころか、二両二分にも、三両にも買い求めるものがあらわれて来た。半蔵が家の隣に住んで昔|気質《かたぎ》で聞こえた伏見屋金兵衛《ふしみやきんべえ》なぞは驚いてしまって、まことに心ならぬ浮世ではある、こんな姿で子孫が繁昌《はんじょう》するならそれこそ大慶の至りだと皮肉を言ったり、この上どうなって行く世の中だろうと不安な語気をもらしたりした。
半蔵が横浜貿易から帰って来る旧師を心待ちに待ち受けたの
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