せは済んだ。これから糸の引き渡しだ。」
異人屋敷を出てから安兵衛がホッとしたようにそれを言い出すと、嘉吉も連れだって歩きながら、
「旦那《だんな》、それから、まだありますぜ。請け取った現金を国の方へ運ぶという仕事がありますぜ。」
「その事なら心配しなくてもいい。先生が引き受けていてくださる。」
「こいつがまた一仕事ですぞ。」
寛斎は二人のあとから神奈川台の土を踏んで、一緒に海の見えるところへ行って立った。目に入るかぎり、ちょうど港は発展の最中だ。野毛《のげ》町、戸部《とべ》町なぞの埋め立てもでき、開港当時百一戸ばかりの横浜にどれほどの移住者が増したと言って見ることもできない。この横浜は来たる六月二日を期して、開港一周年を迎えようとしている。その記念には、弁天の祭礼をすら迎えようとしている。牡丹屋の亭主の話によると、神輿《みこし》はもとより、山車《だし》、手古舞《てこまい》、蜘蛛《くも》の拍子舞《ひょうしまい》などいう手踊りの舞台まで張り出して、できるだけ盛んにその祭礼を迎えようとしている。だれがこの横浜開港をどう非難しようと、まるでそんなことは頓着《とんちゃく》しないかのように、いったんヨーロッパの方へ向かって開いた港からは、世界の潮《うしお》が遠慮会釈なくどんどん流れ込むように見えて来た。羅紗《らしゃ》、唐桟《とうざん》、金巾《かなきん》、玻璃《はり》、薬種、酒類なぞがそこからはいって来れば、生糸、漆器、製茶、水油、銅および銅器の類《たぐい》なぞがそこから出て行って、好《よ》かれ悪《あ》しかれ東と西の交換がすでにすでに始まったように見えて来た。
郷里の方に待ち受けている妻子のことも、寛斎の胸に浮かんで来た。彼の心は中津川の香蔵、景蔵、それから馬籠《まごめ》の半蔵なぞの旧《ふる》い三人の弟子《でし》の方へも行った。あの血気|壮《さか》んな人たちが、このむずかしい時をどう乗ッ切るだろうかとも思いやった。
生糸売り上げの利得のうち、小判《こばん》で二千四百両の金を遠く中津川まで送り届けることが寛斎の手に委《ゆだ》ねられた。安兵衛、嘉吉の二人は神奈川に居残って、六月のころまで商売を続ける手はずであったからで。当時、金銀の運搬にはいろいろ難渋した話がある。※[#「魚+昜」、195−9]《するめ》にくるんで乾物の荷と見せかけ、かろうじて胡麻《ごま》の蠅《はえ》の難
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