まいとすることは、長いこと上に立つ人たちが封建時代に執って来た方針であった。しかし半蔵はこの街道筋に起こって来た見のがしがたい新しい現象として、あの牛方事件から受け入れた感銘を忘れなかった。不正な問屋を相手に血戦を開き、抗争の意気で起《た》って来たのもあの牛行司であったことを忘れなかった。彼は旅で思いがけなくその人から声をかけられて見ると、たとい自分の位置が問屋側にあるとしても、そのために下層に黙って働いているような牛方仲間を笑えなかった。


 木曾福島の関所も次第に近づいた。三人ははらはら舞い落ちる木の葉を踏んで、さらに山深く進んだ。時には岩石が路傍に迫って来ていて、高い杉《すぎ》の枝は両側からおおいかぶさり、昼でも暗いような道を通ることはめずらしくなかった。谷も尽きたかと見えるところまで行くと、またその先に別の谷がひらけて、そこに隠れている休み茶屋の板屋根からは青々とした煙が立ちのぼった。桟《かけはし》、合渡《ごうど》から先は木曾川も上流の勢いに変わって、山坂の多い道はだんだん谷底へと降《くだ》って行くばかりだ。半蔵らはある橋を渡って、御嶽《おんたけ》の方へ通う山道の分かれるところへ出た。そこが福島の城下町であった。
「いよいよ御関所ですかい。」
 佐吉は改まった顔つきで、主人らの後ろから声をかけた。
 福島の関所は木曾街道中の関門と言われて、大手橋の向こうに正門を構えた山村氏の代官屋敷からは、河《かわ》一つ隔てた町はずれのところにある。「出女《でおんな》、入《い》り鉄砲《でっぽう》」と言った昔は、西よりする鉄砲の輸入と、東よりする女の通行をそこで取り締まった。ことに女の旅は厳重をきわめたもので、髪の長いものはもとより、そうでないものも尼《あま》、比丘尼《びくに》、髪切《かみきり》、少女《おとめ》などと通行者の風俗を区別し、乳まで探って真偽を確かめたほどの時代だ。これは江戸を中心とする参覲《さんきん》交代の制度を語り、一面にはまた婦人の位置のいかなるものであるかを語っていた。通り手形を所持する普通の旅行者にとって、なんのはばかるところはない。それでもいよいよ関所にかかるとなると、その手前から笠《かさ》や頭巾《ずきん》を脱ぎ、思わず襟《えり》を正したものであるという。
 福島では、半蔵らは関所に近く住む植松菖助《うえまつしょうすけ》の家を訪《たず》ねた。父吉左衛
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