入れて、「田舎から出て来て見ると、女の風俗の変ったのに驚いて了う。実に、華麗《はで》な、大胆な風俗だ。見給え、通る人は各自《てんで》に思い思いの風《なり》をしている」
「とにかく、進んで来たんだね。着物の色からして、昔は割合に単純なもので満足した。今は子供の着るものですら、黄とか紅《あか》とか言わないで、多く間色を用いるように成った。それだけ進歩して来たんだろうね」
「しかし、相川君、内部《なかみ》も同じように進んでいるんだろうか」
「無論さ」
「そうかなあ――」
「原君、原君、まだまだ吾儕《われわれ》の時代だと思ってるうちに、何時《いつ》の間にか新しい時代が来ているんだね」
 長いこと二人は言葉を交《かわ》さないで、悄然《しょうぜん》と眺め入っていた。
 やがて別れる時が来た。暫時《しばらく》二人は門外の石橋のところに佇立《たたず》みながら、混雑した往来の光景《ありさま》を眺めた。旧い都が倒れかかって、未だそこここに徳川時代からの遺物も散在しているところは――丁度、熾《さか》んに燃えている火と、煙と、人とに満された火事場の雑踏を思い起させる。新東京――これから建設されようとする大都会――それはおのずからこの打破と、崩壊と、驚くべき変遷との間に展けて行くように見えた。
「ああ出て来てよかった」
 と原は心に繰返したのである。再会を約して彼は築地《つきじ》行の電車に乗った。
 友達に別れると、遽然《にわかに》相川は気の衰頽《おとろえ》を感じた。和田倉橋から一つ橋の方へ、内濠《うちぼり》に添うて平坦《たいら》な道路《みち》を帰って行った。年をとったという友達のことを笑った彼は、反対《あべこべ》にその友達の為に、深く、深く、自分の抱負を傷《きずつ》けられるような気もした。実際、相川の計画していることは沢山ある。学校を新《あらた》に興そうとも思っている。新聞をやって見ようとも思っている。出版事業のことも考えている。すくなくも社会の為に尽そうという熱い烈しい希望《のぞみ》を抱《いだ》いている。しかしながら、彼は一つも手を着けていなかった。
 翌々日、相川は例の会社から家の方へ帰ろうとして、復たこの濠端《ほりばた》を通った。日頃「腰弁街道」と名を付けたところへ出ると、方々の官省《やくしょ》もひける頃で、風呂敷包を小脇に擁《かか》えた連中がぞろぞろ通る。何等の遠い慮《おもんぱかり》もなく、何等の準備《したく》もなく、ただただ身の行末を思い煩うような有様をして、今にも地に沈むかと疑われるばかりの不規則な力の無い歩みを運びながら、洋服で腕組みしたり、頭を垂れたり、あるいは薄荷《はっか》パイプを啣《くわ》えたりして、熱い砂を踏んで行く人の群を眺めると、丁度この濠端に、同じような高さに揃えられて、枝も葉も切り捨てられて、各自の特色を延ばすことも出来ない多くの柳を見るような気がする。「ああ、並木だ」と相川は腰弁の生涯を胸に浮べた。
「もっと頭を挙げて歩け」
 こう彼は口の中で言って見て、塵埃《ほこり》だらけに成った人々の群を眺め入った。



底本:「旧主人・芽生」新潮文庫、新潮社
   1969(昭和44)年2月15日初版発行
   1970(昭和45)年2月15日2刷
入力:紅邪鬼
校正:伊藤時也
1999年12月11日公開
2003年10月29日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全3ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング