木が、布施《ふせ》という友達と一緒に、この茶店へ入って来た。「やあ」という声は双方から一緒に出た。相川の周囲《まわり》は遽然《にわかに》賑《にぎや》かに成った。
「原君、御紹介しましょう」と相川は青木の方を指《ゆびさ》して、「青木君――大学の英文科に居られる」
「ああ、貴方が青木さんですか。御書きに成ったものは克《よ》く雑誌で拝見していました」と原は丁寧に挨拶する。
 青木は銀縁の眼鏡を掛けた、髪を五分刈にしている男で、原の出様が丁寧であった為に、すこし極りのわるそうに挨拶した。
「是方《こちら》は」と相川は布施の方を指して、「布施君――矢張《やはり》青木君と同級です」
 布施は髪を見事に分けていた。男らしいうちにも愛嬌《あいきょう》のある物の言振《いいぶり》で、「私は中学校に居る時代から原先生のものを愛読しました」
「この布施君は永田君に習った人なんです」と相川は原の方を向いて言った。
「永田君に?」と原は可懐《なつか》しそうに。
「はあ、永田先生には非常に御厄介に成りました」と布施は答えた。
「青木君、洋服は珍しいね」と相川は笑いながら、「むう、仲々好く似合う」
「青木君は――」と布施は引取って、「洋服を着たら若くなったという評判です」
「どうも到る処でひやかされるなあ」と青木は五分刈の頭を撫でた。
「時に、会の方はどう定《きま》りました」と相川は尋ねた。
「乙骨先生の講演、これは動きません。それから高瀬さんも出て下さると仰在《おっしゃ》いました」こう布施は答える。
「高瀬は、君、あんまり澄してるからね、ちっと引張《ひっぱり》出さんけりゃ不可《いかん》よ」と言って、相川は原の方を見て、「君も引越して来たら、是非|吾儕《われわれ》の会の為に尽力してくれ給え」
「何卒《どうぞ》、原先生にも御話を一つ」と布施は敬意を表《あらわ》して言った。
「駄目です」と原は謙遜な調子で、「今相川君にも話したんですが、僕なぞは最早《もう》チョン髷の方で――」
「そんなことは有ません」と布施は言葉を和《やわら》げて、さも可懐《なつか》しそうに、「実際、私は原先生のものを愛読しましたよ。永田先生にも克《よ》くその話をしましたッけ」
「まあ、私達は先生方が産んで下すった子供なんです」と青木は附加《つけた》した。
 眼鏡越しに是方《こちら》を眺める青木の眼付の若々しさ、往時《むかし》を可懐《なつか》しがる布施の容貌《おもて》に顕《あらわ》れた真実――いずれも原の身にとっては追懐《おもいで》の種であった。相川や、乙骨や、高瀬や、それから永田なぞと、よく往ったり来たりした時代は、最早遠く過去《うしろ》になったような気がする。間も無く四人はこの茶店を出た。細い幹の松が植えてある芝生の間の小径《こみち》のところで、相川、原の二人は書生連に別れて、池に添うて右の方へ曲った。原が振返った時は、もう青木も布施も見えなかった。
 原は嘆息して、
「今の若い連中は仲々面白いことを考えてるようだね」
「そりゃあ、君、進んでいるさ」と相川は歩きながら新しい巻煙草に火を点《つ》けた。「吾儕《われわれ》の若い時とは違うさ」
「そうだろうなあ」
「それに、あの二人なぞは立派に働ける人達だよ――どうして、君、よく物が解ってらあね」
 こういう言葉を交換《とりかわ》して歩いて行くうちに、二人は池に臨んだ石垣の上へ出て来た。樹蔭に置並べた共同腰掛には午睡《ひるね》の夢を貪《むさぼ》っている人々がある。蒼ざめて死んだような顔付の女も居る。貧しい職人|体《てい》の男も居る。中には茫然《ぼんやり》と眺め入って、どうしてその日の夕飯《ゆうめし》にありつこうと案じ煩《わずら》うような落魄《らくはく》した人間も居る。樹と樹との間には、花園の眺めが面白く展けて、流行を追う人々の洋傘《こうもり》なぞが動揺する日の光の中に輝く光影《さま》も見える。
 二人は鬱蒼《こんもり》とした欅《けやき》の下を択《えら》んだ。そこには人も居なかった。
「今日は疲れた」
 と相川はがっかりしたように腰を掛ける。原は立って眺め入りながら、
「相川君、何故《なぜ》、こう世の中が急に変って来たものだろう。この二三年、特に激しい変化が起ったのかねえ、それとも、十年前だって同じように変っていたのが、唯|吾儕《われわれ》に解らなかったのかねえ」
「そうさなあ」と相川は胸を突出して、「この二三年の変化は特に急激なんだろう。こういう世の中に成って来たんだ」
「戦争の影響かしら」
「無論それもある。それから、君、電車が出来て交通は激しくなる――市区改正の為にどしどし町は変る――東京は今、革命の最中だ」
「海老茶《えびちゃ》も勢力に成ったね」と原は思出したように。
「うん海老茶か」と相川は考深い眼付をして言った。
「女も変った」と原は力を
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