は坂の途中であとから登って来る娘のほうを振り返って見て、また路《みち》を踏んで行った。こうして親子三人のものが一緒にそろって出かけるというは、それだけでも私には楽しかった。
「新橋《しんばし》の手前までやってください。」
 と、私は坂の上に待つ運転手に声をかけて、やがて車の上の人となった。肥《ふと》った末子は私の隣に、やせぎすな次郎は私と差し向かいに腰掛けた。
「きょうは用達《ようたし》だぜ。次郎ちゃんにも手伝ってもらうぜ。」
「わかってるよ。」
 動いて行く車の上で、私たちは大体の手はずをきめた。
「末ちゃんは風呂敷《ふろしき》を忘れて来やしないか。」
 と、私が言うと、末子は車の窓のそばから黒い風呂敷を取り出して見せた。
 私たちを載せた車は、震災の当時に焼け残った岡《おか》の地勢を降りて、まだバラック建ての家屋の多い、ごちゃごちゃとした広い町のほうへ、一息に走って行った。町の曲がり角《かど》で、急に車が停《と》まるとか、また動き出すとか、何か私たちの乗り心地《ごこち》を刺激するものがあると、そのたびに次郎と末子とは、兄妹《きょうだい》らしい軽い笑《え》みをかわしていた。次郎が毎日はく靴《くつ》を買ったという店の前あたりを通り過ぎると、そこはもう新橋の手前だ。ある銀行の前で、私は車を停《と》めさせた。
 しばらく私たちは、大きな金庫の目につくようなバラック風の建物の中に時を送った。
「現金でお持ちになりますか。それとも御便利なように、何かほかの形にして差し上げるようにしましょうか。」
 と、そこの銀行員が尋ねるので、私は例の小切手を現金に換えてもらうことにした。私が支払い口の窓のところで受け取った紙幣は、風呂敷包《ふろしきづつ》みにして、次郎と二人《ふたり》でそれを分けて提《さ》げた。
「こうして見ると、ずいぶん重いね。」
 待たせて置いた自動車に移ってから、次郎はそれを妹に言った。
「どれ。」
 と、妹も手を出して見せた。
 私たちの乗る車はさらに日本橋手前の方角を取って、繁華な町の中を走って行った。私は風呂敷包みを解いて、はじめて手にするほどの紙幣の束の中から、あの太郎あてに送金する分だけを別にしようとした。不慣れな私には、五千円の札を車の上で数えるだけでもちょっと容易でない。その私を見ると、次郎も末子も笑った。やがて次郎は何か思いついたように、やや中腰の姿勢をして、車のゆききや人通りの激しい外の町からこの私をおおい隠すようにした。
 私たちはある町を通り過ぎようとした。祭礼かと見まごうばかりにぎやかに飾り立てたある書店の前の広告塔が目につく。私は次郎や末子にそれを指《さ》して見せた。
「御覧、競争が始まってるんだよ。」
 紅《あか》い旗、紅い暖簾《のれん》は、車の窓のガラスに映ったり消えたりした。大量生産の機運に促されて、廉価な叢書《そうしょ》の出版計画がそこにも競うように起こって来たかと思いながら、日本橋《にほんばし》手前のある地方銀行の支店へと急いだ。郷里の山地のほうにいる太郎あてに送金するには、その支店から為替《かわせ》を組んでもらうのが、いちばん簡単でもあり、便利でもあったからで。日本橋の通りにあるバラック風な建物の中でも、また私たちはしばらく時を送った。その建物の前にある石の階段をおりたところで、私は連れの次郎や末子を見て言った。
「さあ、太郎さんへはお金を送った。これからは次郎ちゃんや三ちゃんの番だ。」
 自動車が動くたびに私の子供に話したことがほんとうになって行った。「へたな洋食よりいい事がある」と私が誘い出した意味は、その時になって次郎にもわかって来た。私は京橋《きょうばし》へんまで車を引き返させて、そこの町にある銀行の支店で、次郎と三郎との二人《ふたり》のために五千円ずつの金を預けた。兄は兄、弟は弟の名前で。
 私は次郎に言った。
「これはいつでも引き出せるというわけには行かない。半年に一度しかそういう時期は回って来ない。」
「そこはとうさんに任せるよ。」
 私は時計を見た。どこの銀行でも店を閉じるという午後の三時までには、まだ時の余裕があった。私はその日のうちに四人の兄妹《きょうだい》に分けるだけのものは分け、受け取った金の始末をしてしまいたいと思った。そこは人通りの多い町中で、買い物にも都合がいい。末子は家へのみやげにと言って、町で求めた菓子パンなどを風呂敷包《ふろしきづつ》みにしながら、自動車の中に私たちを待っていた。
「末ちゃん、今度はお前の番だよ。」
 そう言って、私は家路に近い町のほうへとまた車をいそがせた。

 かなりくたぶれて私は家に帰り着いた。ほとんど一日がかりでその日の用達《ようたし》に奔走し、受け取った金の始末もつけ、ようやく自分の部屋《へや》にくつろいで見ると、肩の荷物をおろしたような疲れが出た。
 私は、一緒に帰って来た次郎と末子を、自分のそばへ呼んだ。銀行へ預けた金の証書を、そこへ取り出して見せた。
「次郎ちゃん、御覧。これはもうお前たちのものだ。どうこれを役に立てようと、お前たちの勝手だ。これだけあったら、ちょっとフランスあたりへ行って見て来ることもできようぜ。まあ、一度は世界を見てくるがいい。このお金はそういうことに使うがいい。それまではとうさんのほうに預かって置いてあげる。」
 子供を育てるには、寒く、ひもじく、とある人がかつて私に言ってみせたが、あれは忘れられない言葉として私の記憶に残っている。あまり多くを与え過ぎないように、そうかと言ってなるべく子供らが手足を延ばせるように。私も艱難《かんなん》に艱難の続いたような自分の若かった日のことを思い出して、これくらいのしたくは子供らのためにして置きたいと考えた。父としての私が生活の基調を働くことに置いたのはかなり旧《ふる》いことであること、それはあの山の上へ行って七年も百姓の中に暮らして見たころからであること、金《かね》の利息で楽に暮らそうと考えるようなことは到底自分ら親子の願いでないこと、そういう話までも私は二人《ふたり》の子供の前に言い添えた。
 その時、末子は兄のそばに静かにいて、例のうつむきがちに私たちの話に耳を傾けたが、自分の証書を開いて見ようとはしなかった。私はそれを娘の遠慮だとして、
「末ちゃん、お前も御覧。もっと、よく御覧。お前の名前もちゃんとそこに書いてあるよ。」
 と言って、その分け前を確かめさせた。
 私たちの間には楽しい笑い声が起こった。次郎は、両手を振りながら、四畳半と茶の間のさかいにある廊下のところを幾度となく往《い》ったり来たりした。
「さあ、おれも成金《なりきん》だぞ。」
 その次郎のふざけた言葉を聞くと、私はあわてて、
「ばか。それだからお前たちはだめだ。」
 としかった。
 もはや、私の前には、太郎あてに銀行でつくって来た為替《かわせ》を送ることと、三郎にもこれを知らせることとが残った。私も、著作に従事するものの癖で、筆執ることが仕事のようになっていて、手紙となるとひどくおっくうに思われてならない。でも、ほかの手紙でもなかった。私は太郎あてのものをその翌日になって書いた。

 送金。
 金五千円。
 これは思いがけない収入があって、お前と、次郎と、三郎と、末ちゃんに父《とう》さんの分ける金です。お前の家でも手の足りないことは、父さんもよく承知しています。父さんはほかに手伝いのしようもないから、お前の耕作を助ける代わりとしてこれを送ります。この金を預けたら毎年三百円ほどの余裕ができましょう。それでお前の農家の経済を補って行くことにしてください。
 これはただ金《かね》で父さんからもらったと考えずに、父さんがお前と一緒に働いているしるしと考えてください。くれぐれもこの金をお前の農家に送る父さんの心を忘れないでください。
 くわしいことは、いずれ次郎が帰村の日に。
[#天から3字下げ]太郎へ

 ちょうど、そこへ三郎が郊外のほうの話をもって訪《たず》ねて来た。
「おう、三ちゃんもちょうどいいとこへ来た。お前にも見せるものがある。」
 と、私は言って、この子のためにも同じように用意して置いた証書を取り出して見せたあとで、
「お前も一度は世界を見て来るがいいよ。」
 と言い添えた。
「そうしてもらえば、僕もうれしい。」
 それが三郎の返事であった。
 何か私は三人の男の子に餞別《せんべつ》でも出したような気がして、自分のしたことを笑いたくもあった。時には、末子が茶の間の外のあたたかい縁側に出て、風に前髪をなぶらせていることもある。白足袋《しろたび》はいた娘らしい足をそこへ投げ出していることがある。それが私の部屋《へや》からも見える。私は自分の考えることをこの子にも言って置きたいと思って、一生他人に依《たよ》るようなこれまでの女の生涯《しょうがい》のはかないことなどを話し聞かせた。
 それにしても、筆執るものとしての私たちに関係の深い出版界が、あの世界の大戦以来順調な道をたどって来ているとは、私には思えなかった。その前途も心に懸《かか》った。どうかすると私の家では、次郎も留守、末子も留守、婆《ばあ》やまでも留守で、住み慣れた屋根の下はまるでからっぽのようになることもある。そういう時にかぎって、私はいるかいないかわからないほどひっそりと暮らした。私の前には、まだいくらものぞいて見ない老年の世界が待っていた。私はここまで連れて来た四人の子供らのため、何かそれぞれ役に立つ日も来ようと考えて、長い旅の途中の道ばたに、思いがけない収入をそっと残して置いて行こうとした。



底本:「嵐 他二編」岩波文庫、岩波書店
   1956(昭和31)年3月26日第1刷発行
   1969(昭和44)年9月16日第13刷改版発行
   1974(昭和49)年12月20日第18刷発行
入力:紅邪鬼
校正:ちはる
2001年2月6日公開
2005年12月26日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全4ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング