たくもあった。時には、末子が茶の間の外のあたたかい縁側に出て、風に前髪をなぶらせていることもある。白足袋《しろたび》はいた娘らしい足をそこへ投げ出していることがある。それが私の部屋《へや》からも見える。私は自分の考えることをこの子にも言って置きたいと思って、一生他人に依《たよ》るようなこれまでの女の生涯《しょうがい》のはかないことなどを話し聞かせた。
 それにしても、筆執るものとしての私たちに関係の深い出版界が、あの世界の大戦以来順調な道をたどって来ているとは、私には思えなかった。その前途も心に懸《かか》った。どうかすると私の家では、次郎も留守、末子も留守、婆《ばあ》やまでも留守で、住み慣れた屋根の下はまるでからっぽのようになることもある。そういう時にかぎって、私はいるかいないかわからないほどひっそりと暮らした。私の前には、まだいくらものぞいて見ない老年の世界が待っていた。私はここまで連れて来た四人の子供らのため、何かそれぞれ役に立つ日も来ようと考えて、長い旅の途中の道ばたに、思いがけない収入をそっと残して置いて行こうとした。



底本:「嵐 他二編」岩波文庫、岩波書店
   195
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