と、三郎と、末ちゃんに父《とう》さんの分ける金です。お前の家でも手の足りないことは、父さんもよく承知しています。父さんはほかに手伝いのしようもないから、お前の耕作を助ける代わりとしてこれを送ります。この金を預けたら毎年三百円ほどの余裕ができましょう。それでお前の農家の経済を補って行くことにしてください。
これはただ金《かね》で父さんからもらったと考えずに、父さんがお前と一緒に働いているしるしと考えてください。くれぐれもこの金をお前の農家に送る父さんの心を忘れないでください。
くわしいことは、いずれ次郎が帰村の日に。
[#天から3字下げ]太郎へ
ちょうど、そこへ三郎が郊外のほうの話をもって訪《たず》ねて来た。
「おう、三ちゃんもちょうどいいとこへ来た。お前にも見せるものがある。」
と、私は言って、この子のためにも同じように用意して置いた証書を取り出して見せたあとで、
「お前も一度は世界を見て来るがいいよ。」
と言い添えた。
「そうしてもらえば、僕もうれしい。」
それが三郎の返事であった。
何か私は三人の男の子に餞別《せんべつ》でも出したような気がして、自分のしたことを笑いたくもあった。時には、末子が茶の間の外のあたたかい縁側に出て、風に前髪をなぶらせていることもある。白足袋《しろたび》はいた娘らしい足をそこへ投げ出していることがある。それが私の部屋《へや》からも見える。私は自分の考えることをこの子にも言って置きたいと思って、一生他人に依《たよ》るようなこれまでの女の生涯《しょうがい》のはかないことなどを話し聞かせた。
それにしても、筆執るものとしての私たちに関係の深い出版界が、あの世界の大戦以来順調な道をたどって来ているとは、私には思えなかった。その前途も心に懸《かか》った。どうかすると私の家では、次郎も留守、末子も留守、婆《ばあ》やまでも留守で、住み慣れた屋根の下はまるでからっぽのようになることもある。そういう時にかぎって、私はいるかいないかわからないほどひっそりと暮らした。私の前には、まだいくらものぞいて見ない老年の世界が待っていた。私はここまで連れて来た四人の子供らのため、何かそれぞれ役に立つ日も来ようと考えて、長い旅の途中の道ばたに、思いがけない収入をそっと残して置いて行こうとした。
底本:「嵐 他二編」岩波文庫、岩波書店
1956(昭和31)年3月26日第1刷発行
1969(昭和44)年9月16日第13刷改版発行
1974(昭和49)年12月20日第18刷発行
入力:紅邪鬼
校正:ちはる
2001年2月6日公開
2005年12月26日修正
青空文庫作成ファイル:
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