の往復にも多くの日数がかかり世界大戦争の始まってからはことに事情も通じがたいもどかしさに加えて、三年の月日の間には国のほうで起こった不慮な出来事とか種々の故障とかがいっそう旅を困難にした。私も、外国生活の不便はかねて覚悟して行ったようなものの、旅費のことなぞでそう不自由はしないつもりであった。時には前途の思いに胸がふさがって、さびしさのあまり寝るよりほかの分別《ふんべつ》もなかったことを覚えている。
過去を振り返って見ると、今の私がどうにか不自由もせずに子供らを養って行けるというだけでも、不思議なくらいである。あの子供らの母《かあ》さんの時代のことを思うと、今の借家ずまいでも私には過ぎたものだ。
「富《とみ》とは、生命よりほかの何物でもない。」
この言葉が私を励ました。
私は旅人のような心で、今までどおりのごくあたりまえな生活を続けたかった。家は私の宿屋で、子供らは私の道づれだ。その日、その日に不自由さえなくば、それでこの世の旅は足りる。私に肝要なものは、余生を保障するような金よりも強い足腰の骨であった。
大きくなった子供らと一緒に働くことの新しいよろこび、その考えはどうにか男親の手一つで四人のちいさなものを育てて来た私にふさわしく思われた。私は自分の身につけるよりも、今度の思いがけない収入を延び行く時代のもののほうに向けようと考えるようになった。
私は自分に言った。
「いっそ、あの金は子供に分けよう。」
二階はひっそりとしていた。私が階下《した》の四畳半にいて聞くと、時々次郎の話し声がする。末子の笑う声も聞こえて来る。美術書生を兄に持った末子は、肖像の手本としてよくそういうふうに頼まれる。次郎の画作に余念のなかった時だ。
やがて末子は二階から降りて来た。梯子段《はしごだん》の下のところで、ちょっと私に笑って見せた。
「きょうは眠くなっちゃった。」
「春先だからね。」
と、私も笑って、手本で疲れたらしい娘を慰めようとした。
間もなく次郎も一枚の習作を手にして降りて来た。次郎は描《か》いたばかりの妹の肖像を私の部屋《へや》に持って来て、見やすいところに置いて見せた。
「とうさん。これは、どう。」
「おそろしく鼻の高い娘ができたね。」
「そんなにこの鼻は高く見えるかなあ。」
「冗談だよ。とうさんがふざけて言ったんだよ。そんなことは、どうでもいいじゃな
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