銀之助は考へて、『万事大日向さんに頼んで見給へ。もし叔父さんが根津に居られないやうだつたら、下高井の方へでも引越して行くさ。もう斯うなつた以上は、心配したつて仕方が無い――なあに、君、どうにか方法は着くよ。』
『では、其話をして置いて呉れ給へな。』
『宜《よろ》しい。』
斯う引受けて貰ひ、それから例の『懴悔録』はいづれ東京へ着いた上、新本を求めて、お志保のところへ送り届けることにしよう、と約束して、軈《やが》て丑松は未亡人と一緒に見送りの人々へ別離《わかれ》を告げた。弁護士、大日向、音作、銀之助、其他生徒の群はいづれも三台の橇《そり》の周囲《まはり》に集つた。お志保は蒼《あを》ざめて、省吾の肩に取縋《とりすが》り乍ら見送つた。
『さあ、押せ、押せ。』と生徒の一人は手を揚げて言つた。
『先生、そこまで御供しやせう。』とまた一人の生徒は橇の後押棒に掴《つかま》つた。
いざ、出掛けようとするところへ、準教員が霙の中を飛んで来て、生徒一同に用が有るといふ。何事かと、未亡人も、丑松も振返つて見た。蓮太郎の遺骨を載せた橇を先頭《はな》に、三台の橇曳は一旦入れた力を復《ま》た緩めて、手持無沙汰にそこへ佇立《たゝず》んだのであつた。
(四)
『其位《それくらゐ》のことは許して呉れたつても好ささうなものぢや無いか。』と銀之助は準教員の前に立つて言つた。『だつて君、考へて見給へ。生徒が自分達の先生を慕つて、そこまで見送りに随《つ》いて行かうと言ふんだらう。少年の情としては美しいところぢや無いか。寧《むし》ろ賞めてやつて好いことだ。それを学校の方から止めるなんて――第一、君が間違つてる。其様《そん》な使に来るのが間違つてる。』
『左様《さう》君のやうに言つても困るよ。』と準教員は頭を掻き乍ら、『何も僕が不可《いけない》と言つた訳では有るまいし。』
『それなら何故《なぜ》学校で不可と言ふのかね。』と銀之助は肩を動《ゆす》つた。
『届けもしないで、無断で休むといふ法は無い。休むなら、休むで、許可《ゆるし》を得て、それから見送りに行け――斯う校長先生が言ふのさ。』
『後で届けたら好からう。』
『後で? 後では届にならないやね。校長先生はもう非常に怒つてるんだ。勝野君はまた勝野君で、どうも彼組《あのくみ》の生徒は狡猾《ずる》くて不可《いかん》、斯ういふことが度々重ると学校の威信に関《かゝは》る、生徒として規則を守らないやうなものは休校させろ――まあ斯う言ふのさ。』
『左様器械的に物を考へなくつても好からう。何ぞと言ふと、校長先生や勝野君は、直に規則、規則だ。半日位休ませたつて、何だ――差支は無いぢやないか。一体、自分達の方から進んで生徒を許すのが至当《あたりまへ》だ。まあ勧めるやうにしてよこすのが至当だ。兎《と》も角《かく》も一緒に仕事をした交誼《よしみ》が有つて見れば、自分達が生徒を連れて見送りに来なけりやならない。ところが自分達は来ない、生徒も不可《いけない》、無断で見送りに行くものは罰するなんて――其様《そん》な無法なことがあるもんか。』
銀之助は事情を知らないのである。昨日校長が生徒一同を講堂に呼集めて、丑松の休職になつた理由を演説したこと、其時丑松の人物を非難したり、平素《ふだん》の行為《おこなひ》に就いて烈しい攻撃を加へたりして、寧ろ今度の改革は(校長はわざ/\改革といふ言葉を用ゐた)学校の将来に取つて非常な好都合であると言つたこと――そんなこんなは銀之助の知らない出来事であつた。あゝ、教育者は教育者を忌む。同僚としての嫉妬《しつと》、人種としての軽蔑《けいべつ》――世を焼く火焔《ほのほ》は出発の間際まで丑松の身に追ひ迫つて来たのである。
あまり銀之助が激するので、丑松は一旦|橇《そり》を下りた。
『まあ、土屋君、好加減《いゝかげん》にしたら好からう。使に来たものだつて困るぢや無いか。』と丑松は宥《なだ》めるやうに言つた。
『しかし、あんまり解らないからさ。』と銀之助は聞入れる気色《けしき》も無かつた。『そんなら僕の時を考へて見給へ。あの時の送別会は半日以上かゝつた。僕の為に課業を休んで呉れる位なら、瀬川君の為に休むのは猶更《なほさら》のことだ。』と言つて、生徒の方へ向いて、『行け、行け――僕が引受けた。それで悪かつたら、僕が後で談判してやる。』
『行け、行け。』とある生徒は手を振り乍ら叫んだ。
『それでは、君、僕が困るよ。』と丑松は銀之助を押止めて、『送つて呉れるといふ志は有難いがね、其為に生徒に迷惑を掛けるやうでは、僕だつてあまり心地《こゝろもち》が好くない。もう是処《こゝ》で沢山《たくさん》だ――わざ/\是処|迄《まで》来て呉れたんだから、それでもう僕には沢山だ。何卒《どうか》、君、生徒を是処《こゝ》で返して呉れ給へ。』
斯う言つて、名残を惜む生徒にも同じ意味の言葉を繰返して、やがて丑松は橇に乗らうとした。
『御機嫌よう。』
それが最後にお志保を見た時の丑松の言葉であつた。
蕭条《せうでう》とした岸の柳の枯枝を経《へだ》てゝ、飯山の町の眺望《ながめ》は右側に展《ひら》けて居た。対岸に並び接《つゞ》く家々の屋根、ところ/″\に高い寺院の建築物《たてもの》、今は丘陵のみ残る古城の跡、いづれも雪に包まれて幽《かす》かに白く見渡される。天気の好い日には、斯《こ》の岸からも望まれる小学校の白壁、蓮華寺の鐘楼、それも霙の空に形を隠した。丑松は二度も三度も振向いて見て、ホツと深い大溜息を吐《つ》いた時は、思はず熱い涙が頬を伝つて流れ落ちたのである。橇《そり》は雪の上を滑り始めた。
[#地から2字上げ](明治三十九年三月)
底本:「現代日本文學大系13 島崎藤村集(一)」筑摩書房
1968(昭和43)年10月5日初版第1刷発行
初出:「破戒」緑蔭叢書第壱編、島崎春樹(自費出版)
1906(明治39)年3月25日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:野口英司
校正:伊藤時也
2006年10月22日作成
2007年2月19日修正
青空文庫作成ファイル:
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