づ》くやうに成つた。大日向は『テキサス』にあるといふ日本村のことを丑松に語り聞せた。北佐久の地方から出て遠く其日本村へ渡つた人々のことを語り聞せた。一人、相応の資産ある家に生れて、東京麻布の中学を卒業した青年も、矢張其渡航者の群に交つたことなぞを語り聞せた。
『へえ、左様《さう》でしたか。』と大日向は鷹匠町の宿のことを言出して笑つた。『貴方も彼処《あすこ》の家に泊つておいででしたか。いや、彼時は酷《ひど》い熱湯《にえゆ》を浴せかけられましたよ。実は、私も、彼様いふ目に逢はせられたもんですから、其が深因《もと》で今度の事業《しごと》を思立つたやうな訳なんです。今でこそ斯うして笑つて御話するやうなものゝ、どうして彼時は――全く、残念に思ひましたからなあ。』
 盛んな笑声は腰掛けて居る人々の間に起つた。其時、大日向は飛んだところで述懐を始めたと心付いて、苦々しさうに笑つて、丑松と一緒にそこへ腰掛けた。
『かみさん――それでは先刻《さつき》のものを茲《こゝ》へ出して下さい。』
 と銀之助は指図する。『お見立《みたて》』と言つて、別離《わかれ》の酒を斯の江畔《かうはん》の休茶屋で酌交《くみかは》すのは、送る人も、送られる人も、共に/\長く忘れまいと思つたことであつたらう。銀之助は其朝の亭主役、早くから来てそれ/″\の用意、万事無造作な書生流儀が反つて熱《あたゝか》い情を忍ばせたのである。
『いろ/\君には御世話に成つた。』と丑松は感慨に堪へないといふ調子で言つた。
『それは御互ひサ。』と銀之助は笑つて、『しかし、斯うして君を送らうとは、僕も思ひがけなかつたよ。送別会なぞをして貰つた僕の方が反《かへ》つて君よりは後に成つた。はゝゝゝゝ――人の一生といふ奴は実際解らないものさね。』
『いづれ復《ま》た東京で逢はう。』と丑松は熱心に友達の顔を眺《なが》める。
『あゝ、其内に僕も出掛ける。さあ何《なんに》もないが一盃《いつぱい》飲んで呉れ給へ。』と言つて、銀之助は振返つて見て、『お志保さん、済《す》みませんが、一つ御酌《おしやく》して下さいませんか。』
 お志保は酒瓶《てうし》を持添へて勧めた。歓喜《よろこび》と哀傷《かなしみ》とが一緒になつて小な胸の中を往来するといふことは、其白い、優しい手の慄《ふる》へるのを見ても知れた。
『貴方《あなた》も一つ御上りなすつて下さい。』と銀之助は可羞《はづか》しがるお志保の手から無理やりに酒瓶《てうし》を受取つて、かはりに盃を勧め乍ら、『さあ、僕が御酌しませう。』
『いえ、私は頂けません。』とお志保は盃を押隠すやうにする。
『そりや不可《いけない》。』と大日向は笑ひ乍ら言葉を添へた。『斯《か》ういふ時には召上るものです。真似でもなんでも好う御座んすから、一つ御受けなすつて下さい。』
『ほんのしるしでサ。』と弁護士も横から。
『何卒《どうぞ》、それでは、少許《ぽつちり》頂かせて下さい。』
 と言つて、お志保は飲む真似をして、紅《あか》くなつた。

       (三)

 次第に高等四年の生徒が集つて来た。其日の出発を聞伝へて、せめて見送りしたいといふ可憐な心根から、いづれも丑松を慕つてやつて来たのである。丑松は頬の紅い少年と少年との間をあちこちと歩いて、別離《わかれ》の言葉を交換《とりかは》したり、ある時は一つところに佇立《たちとゞま》つて、是《これ》から将来《さき》のことを話して聞せたり、ある時は又た霙《みぞれ》の降るなかを出て、枯々《かれ/″\》な岸の柳の下に立つて、船橋を渡つて来る生徒の一群《ひとむれ》を待ち眺《なが》めたりした。
 蓮華寺で撞く鐘の音が起つた。第二の鐘はまた冬の日の寂寞《せきばく》を破つて、千曲川の水に響き渡つた。軈て其音が波うつやうに、次第に拡つて、遠くなつて、終《しまひ》に霙の空に消えて行く頃、更に第三の音が震動《ふる》へるやうに起る――第四――第五。あゝ庄馬鹿は今あの鐘楼に上つて撞き鳴らすのであらう。それは丑松の為に長い別離《わかれ》を告げるやうにも、白々と明初《あけそ》めた一生のあけぼのを報せるやうにも聞える。深い、森厳《おごそか》な音響に胸を打たれて、思はず丑松は首を垂れた。
 第六――第七。
 詞《ことば》の無い声は聞くものゝ胸から胸へ伝《つたは》つた。送る人も、送られる人も、暫時《しばらく》無言の思を取交したのである。
 やがて橇《そり》の用意も出来たといふ。丑松は根津村に居る叔父夫婦のことを銀之助に話して、嘸《さぞ》あの二人も心配して居るであらう、もし自分の噂《うはさ》が姫子沢へ伝つたら、其為に叔父夫婦は奈何《どん》な迷惑を蒙《かうむ》るかも知れない、ひよつとしたら彼村《あのむら》には居られなくなる――奈何《どう》したものだらう。斯う言出した。『其時はまた其時さ。』と
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