言つて、旅の仕度に多忙《いそが》しい未亡人や丑松に話して笑つた。
 蓮華寺の庄馬鹿もやつて来た。奥様からの使と言つて、餞別《せんべつ》のしるしに物なぞを呉れた。別に草鞋《わらぢ》一足、雪の爪掛一つ、其は庄馬鹿が手製りにしたもので、ほんの志ばかりに納めて呉れといふ。其時丑松は彼の寺住を思出して、何となく斯人《このひと》にも名残《なごり》が惜まれたのである。過去《すぎさ》つたことを考へると、一緒に蔵裏の内に居た人の生涯《しやうがい》は皆な変つた。住職も変つた。奥様も変つた。お志保も変つた。自分も亦た変つた。独り変らないのは、馬鹿々々と呼ばれる斯人ばかり。斯う丑松は考へ乍ら、斯の何時迄《いつまで》も児童《こども》のやうな、親戚も無ければ妻子も無いといふ鐘楼の番人に長の別離《わかれ》を告げた。
 省吾も来た。手荷物があらば持たして呉れと言ひ入れる。間も無く一台の橇の用意も出来た。遺骨を納めた白木造りの箱は、白い布で巻いた上をまた黒で包んで、成るべく人目に着かないやうにした。橇の上には、斯《こ》の遺骨の外に、蓮太郎が形見のかず/\、其他丑松の手荷物なぞを載せた。世間への遠慮から、未亡人と丑松とは上の渡し迄歩いて、対岸の休茶屋で別に二台の橇を傭《やと》ふことにして、軈て一同『御機嫌|克《よ》う』の声に送られ乍ら扇屋を出た。
 霙《みぞれ》は蕭々《しと/\》降りそゝいで居た。橇曳は饅頭笠《まんぢゆうがさ》を冠り、刺子《さしこ》の手袋、盲目縞《めくらじま》の股引といふ風俗で、一人は梶棒、一人は後押に成つて、互に呼吸を合せ乍《なが》ら曳いた。『ホウ、ヨウ』の掛声も起る。丑松は人々と一緒に、先輩の遺骨の後に随いて、雪の上を滑る橇の響を聞き乍ら、静かに自分の一生を考へ/\歩いた。猜疑《うたがひ》、恐怖《おそれ》――あゝ、あゝ、二六時中忘れることの出来なかつた苦痛《くるしみ》は僅かに胸を離れたのである。今は鳥のやうに自由だ。どんなに丑松は冷い十二月の朝の空気を呼吸して、漸《やうや》く重荷を下したやうな其蘇生の思に帰つたであらう。譬《たと》へば、海上の長旅を終つて、陸《をか》に上つた時の水夫の心地《こゝろもち》は、土に接吻《くちづけ》する程の可懐《なつか》しさを感ずるとやら。丑松の情は丁度其だ。いや、其よりも一層《もつと》歓《うれ》しかつた、一層哀しかつた。踏む度にさく/\と音のする雪の上は、確実《たしか》に自分の世界のやうに思はれて来た。

       (二)

 上の渡しの方へ曲らうとする町の角で、一同はお志保に出逢《であ》つた。
 丁度お志保は音作を連れて、留守は音作の女房に頼んで置いて、見送りの為に其処に待合せて居たところ。丑松とお志保――実にこの二人の歓会は傍《はた》で観る人の心にすら深い/\感動を与へたのであつた。冠つて居る帽子を無造作に脱いで、お志保の前に黙礼したは、丑松。清《すゞ》しい、とはいへ涙に霑《ぬ》れた眸《ひとみ》をあげて、丑松の顔を熟視《まも》つたは、お志保。仮令《たとひ》口唇《くちびる》にいかなる言葉があつても、其時の互の情緒《こゝろもち》を表すことは出来なかつたであらう。斯《か》うして現世《このよ》に生きながらへるといふことすら、既にもう不思議な運命の力としか思はれなかつた。まして、さま/″\な境涯を通過《とほりこ》して、復《ま》た逢ふ迄の長い別離《わかれ》を告げる為に、互に可懐《なつか》しい顔と顔とを合せることが出来ようとは。
 丑松の紹介で、お志保は始めて未亡人と弁護士とを知つた。女同志は直に一緒に成つて、言葉を交し乍ら歩き初めた。音作も亦《また》、丑松と弁護士との談話仲間《はなしなかま》に入つて、敬之進の容体などを語り聞せる。正直な、樸訥《ぼくとつ》な、農夫らしい調子で、主人思ひの音作が風間の家のことを言出した時は、弁護士も丑松も耳を傾けた。音作の言ふには、もしも病人に万一のことが有つたら一切は自分で引受けよう、そのかはりお志保と省吾の身の上を頼む――まあ、自分も子は無し、主人の許しは有るし、するからして、あのお末を貰受けて、形見と思つて育《やしな》ふ積りであると話した。
 上の渡しの長い船橋を越えて対岸の休茶屋に着いたは間も無くであつた。そこには銀之助が早くから待受けて居た。例の下高井の大尽も出て迎へる。弁護士が丑松に紹介した斯《こ》の大日向といふ人は、見たところ余り価値《ねうち》の無ささうな――丁度田舎の漢方医者とでも言つたやうな、平凡な容貌《かほつき》で、これが亜米利加《アメリカ》の『テキサス』あたりへ渡つて新事業を起さうとする人物とは、いかにしても受取れなかつたのである。しかし、言葉を交して居るうちに、次第に丑松は斯人《このひと》の堅実《たしか》な、引締つた、どうやら底の知れないところもある性質を感得《かん
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