り前になり群を成して行つた。斯《か》うして邪気《あどけ》ない生徒等と一緒に、通《かよ》ひ忸《な》れた道路を歩くといふのも、最早今日限りであるかと考へると、目に触れるものは総《すべ》て丑松の心に哀《かな》し可懐《なつか》しい感想《かんじ》を起させる。平素《ふだん》は煩《うるさ》いと思ふやうな女の児の喋舌《おしやべり》まで、其朝にかぎつては、可懐しかつた。色の褪《さ》めた海老茶袴《えびちやばかま》を眺めてすら、直に名残惜しさが湧上つたのである。
学校の運動場には雪が山のやうに積上げてあつた。木馬や鉄棒《かなぼう》は深く埋没《うづも》れて了《しま》つて、屋外《そと》の運動も自由には出来かねるところからして、生徒はたゞ学校の内部《なか》で遊んだ。玄関も、廊下も、広い体操場も、楽しさうな叫び声で満ち溢《あふ》れて居た。授業の始まる迄《まで》、丑松は最後の監督を為る積りで、あちこち/\と廻つて歩くと、彼処《あそこ》でも瀬川先生、此処《こゝ》でも瀬川先生――まあ、生徒の附纏《つきまと》ふのは可愛らしいもので、飛んだり跳《は》ねたりする騒がしさも名残と思へば寧《いつ》そいぢらしかつた。廊下のところに立つた二三の女教師、互にじろ/\是方《こちら》を見て、目と目で話したり、くす/\笑つたりして居たが、別に丑松は気にも留めないのであつた。其朝は三年生の仙太も早く出て来て体操場の隅に悄然《しよんぼり》として居る。他の生徒を羨ましさうに眺め佇立《たゝず》んで居るのを見ると、不相変《あひかはらず》誰も相手にするものは無いらしい。丑松は仙太を背後《うしろ》から抱〆《だきしめ》て、誰が見ようと笑はうと其様《そん》なことに頓着なく、自然《おのづ》と外部《そと》に表れる深い哀憐《あはれみ》の情緒《こゝろ》を寄せたのである。この不幸な少年も矢張自分と同じ星の下に生れたことを思ひ浮べた。いつぞやこの少年と一緒に庭球《テニス》の遊戯《あそび》をして敗けたことを思ひ浮べた。丁度それは天長節の午後、敬之進を送る茶話会の後であつたことなどを思ひ浮べた、不図、廊下の向ふの方で、尋常一年あたりの女の生徒であらう、揃つて歌ふ無邪気な声が起つた。
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『桃から生れた桃太郎、
気はやさしくて、力もち――』
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その唱歌を聞くと同時に、思はず涙は丑松の顔を流れた。
大鈴の音が響き渡つたのは間も無くであつた。生徒は互ひに上草履鳴して、我勝《われがち》に体操場へと塵埃《ほこり》の中を急ぐ。軈《やが》て男女の教師は受持受持の組を集めた。相図の笛《ふえ》も鳴つた。次第に順を追つて、教師も生徒も動き始めたのである。高等四年の生徒は丑松の後に随《つ》いて、足拍子そろへて、一緒に長い廊下を通つた。
(三)
応接室には校長と郡視学とが相対《さしむかひ》に成つて、町会議員の来るのを待受けて居た。それは丑松のことに就いて、集つて相談したい、といふ打合せが有つたからで。尤《もつと》も、郡視学は約束の時間よりも早く、校長を尋ねてやつて来たのである。
校長に言はせると、何も自分は悪意あつて異分子を排斥するといふ訳では無い。自分はもう旧派の教育者と言はれる一人で、丑松や銀之助なぞとはずつと時代が違つて居る。今日とても矢張自分等の時代で有ると言ひたいが、実は何時《いつ》の間にか世の中が変遷《うつりかは》つて来た。何が可畏《こは》いと言つたつて、新しい時代ほど可畏いものは無い。あゝ、老いたくない、朽《く》ちたくない、何時迄《いつまで》も同じ位置と名誉とを保つて居たい、後進の書生輩などに兜《かぶと》を脱いで降参したくない。それで校長は進取の気象に富んだ青年教師を遠ざけようとする傾向《かたむき》を持つのである。
のみならず、丑松や銀之助は彼の文平のやうに自分の意を迎へない。教員会のある度に、意見が克《よ》く衝突する。何かにつけて邪魔に成る。彼様《あん》な喙《くちばし》の黄色い手合が、校長の自分よりも生徒に慕はれて居るとあつては、第一それが小癪に触る。何も悪意あつて排斥するでは無いが、学校の統一といふ上から言ふと、是《これ》も亦《ま》た止むを得ん――斯う校長は身の衛《まも》りかたを考へたので。
『町会議員も最早《もう》見えさうなものだ。』と郡視学は懐中時計を取出して眺め乍ら言つた。『時に、瀬川君のこともいよ/\物に成りさうですかね。』
この『物に』が校長を笑はせた。
『しかし。』と郡視学は言葉を継《つ》いで、『是方《こつち》から其を言出しては面白くない。町の方から言出すやうになつて来なければ面白くない。』
『其です。其を私も思ふんです。』と校長は熱心を顔に表して答へた。
『見給へ。瀬川君が居なくなる、土屋君が居なくなる、左様《さう》なれば君もう是方
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