わかし》を提げて入つて来た時、漸《やうや》く丑松は起上つて、茫然《ぼんやり》と寝床の上に座つて居た。寝過ぎと衰弱《おとろへ》とから、恐しい苦痛の色を顔に表して、半分は未だ眠り乍ら其処に座つて居るかのやう。『御飯を持つて来ませうか。』斯う袈裟治が聞いて見ても、丑松は食ふ気に成らなかつたのである。
『あゝ、気分が悪くて居なさると見える。』
 と独語《ひとりごと》のやうに言ひ乍ら、袈裟治は出て行つた。
 それは北国の冬らしい、寂しい日であつた。ちひさな冬の蠅は斯の部屋の内に残つて、窓の障子をめがけては、あちこち/\と天井の下を飛びちがつて居た。丑松が未だ斯の寺へ引越して来ないで、あの鷹匠町の下宿に居た頃は、煩《うるさ》いほど沢山蠅の群が集つて、何処《どこ》から塵埃《ほこり》と一緒に舞込んで来たかと思はれるやうに、鴨居だけばかりのところを組《く》んづ離《ほぐ》れつしたのであつた。思へば秋風を知つて、短い生命《いのち》を急いだのであらう。今は僅かに生残つたのが斯うして目につく程の季節と成つた。丑松は眺め入つた。眺め入り乍ら、十二月の近いたことを思ひ浮べたのである。
 斯《か》うして、働けば働ける身をもつて、何《なんに》も為《せ》ずに考へて居るといふことは、決して楽では無い。官費の教育を享《う》けたかはりに、長い義務年限が纏綿《つきまと》つて、否でも応でも其間厳重な規則に服従《したが》はなければならぬ、といふことは――無論、丑松も承知して居る。承知して居乍ら、働く気が無くなつて了つた。噫《あゝ》、朝寝の床は絶望した人を葬る墓のやうなもので有らう。丑松は復たそこへ倒れて、深い睡眠《ねむり》に陥入《おちい》つた。

       (二)

『瀬川先生、御客様でやすよ。』
 と喚起《よびおこ》す袈裟治の声に驚かされて、丑松は銀之助が来たことを知つた。銀之助ばかりでは無い、例の準教員も勤務《つとめ》の儘の服装《みなり》でやつて来た。其日は、地方を巡回して歩く休職の大尉とやらが軍事思想の普及を計る為、学校の生徒一同に談話《はなし》をして聞かせるとかで、午後の課業が休みと成つたから、一寸暇を見て尋ねて来たといふ。丑松は寝床の上に起直つて、半ば夢のやうに友達の顔を眺めた。
『君――寝て居たまへな。』
 斯う銀之助は無造作な調子で言つた。真実丑松をいたはるといふ心が斯《この》友達の顔色に表れる。丑松は掛蒲団の上にある白い毛布を取つて、丁度|褞袍《どてら》を着たやうな具合に、其を身に纏《まと》ひ乍ら、
『失敬するよ、僕は斯様《こん》なものを着て居るから。ナニ、君、其様《そんな》に酷《ひど》く不良《わる》くも無いんだから。』
『風邪《かぜ》ですか。』と準教員は丑松の顔を熟視《みまも》る。
『まあ、風邪だらうと思ふんです。昨夜から非常に頭が重くて、奈何《どう》しても今朝は起きることが出来ませんでした。』と丑松は準教員の方へ向いて言つた。
『道理で、顔色が悪い。』と銀之助は引取つて、『インフルヱンザが流行《はや》るといふから、気をつけ給へ。何か君、飲んで見たら奈何だい。焼味噌のすこし黒焦《くろこげ》に成つたやつを茶漬茶椀かなんかに入れて、そこへ熱湯《にえゆ》を注込《つぎこ》んで、二三杯もやつて見給へ。大抵の風邪は愈《なほ》つて了《しま》ふよ。』と言つて、すこし気を変へて、『や、好い物を持つて来て、出すのを忘れた――それ、御土産《おみやげ》だ。』
 斯《か》う言つて、風呂敷包の中から取出したのは、十一月分の月給。
『今日は君が出て来ないから、代理に受取つて置いた。』と銀之助は言葉を続けた。
『克《よ》く改めて見て呉れ給へ――まあ有る積りだがね。』
『それは難有う。』と丑松は袋入りの銀貨取混ぜて受取つて、『確に。して見ると今日は二十八日かねえ。僕はまた二十七日だとばかり思つて居た。』
『はゝゝゝゝ、月給取が日を忘れるやうぢやあ仕様が無い。』と銀之助は反返《そりかへ》つて笑つた。
『全く、僕は茫然《ぼんやり》して居た。』と丑松は自分で自分を励ますやうにして、『今月は君、小だらう。二十九、三十と、十一月も最早《もう》二日しか無いね。あゝ今年も僅かに成つたなあ。考へて見ると、うか/\して一年暮して了つた――まあ、僕なぞは何《なんに》も為なかつた。』
『誰だつて左様《さう》さ。』と銀之助も熱心に。
『君は好いよ。君はこれから農科大学の方へ行つて、自分の好きな研究が自由にやれるんだから。』
『時に、僕の送別会もね、生徒の方から明日にしたいと言出したが――』
『明日に?』
『しかし、君も斯うして寝て居るやうぢやあ――』
『なあに、最早|愈《なほ》つたんだよ。明日は是非出掛ける。』
『はゝゝゝゝ、瀬川君の病気は不良《わる》くなるのも早いし、快《よ》くなるのも早い。まあ大病人のやう
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