世《このよ》で見ることは出来ないかのやうな、悲壮な心地に成つて、橋の上から遠く眺《なが》めると、西の空すこし南寄りに一帯の冬雲が浮んで、丁度|可懐《なつか》しい故郷の丘を望むやうに思はせる。其は深い焦茶《こげちや》色で、雲端《くもべり》ばかり黄に光り輝くのであつた。帯のやうな水蒸気の群も幾条《いくすぢ》か其上に懸つた。あゝ、日没だ。蕭条《せうでう》とした両岸の風物はすべて斯《こ》の夕暮の照光《ひかり》と空気とに包まれて了つた。奈何《どんな》に丑松は『死』の恐しさを考へ乍ら、動揺する船橋の板縁《いたべり》近く歩いて行つたらう。
蓮華寺で撞《つ》く鐘の音は其時丑松の耳に無限の悲しい思を伝へた。次第に千曲川の水も暮れて、空に浮ぶ冬雲の焦茶色が灰がゝつた紫色に変つた頃は、もう日も遠く沈んだのである。高く懸る水蒸気の群は、ぱつと薄赤い反射を見せて、急に掻消《かきけ》すやうに暗く成つて了つた。
第弐拾章
(一)
せめて彼の先輩だけに自分のことを話さう、と不図《ふと》、丑松が思ひ着いたのは、其橋の上である。
『噫《あゝ》、それが最後の別離《おわかれ》だ。』
とまた自分で自分を憐むやうに叫んだ。
斯ういふ思想《かんがへ》を抱いて、軈《やが》て以前《もと》来た道の方へ引返して行つた頃は、閏《うるふ》六日ばかりの夕月が黄昏《たそがれ》の空に懸つた。尤も、丑松は直に其足で蓮太郎の宿屋へ尋ねて行かうとはしなかつた。間も無く演説会の始まることを承知して居た。左様だ、其の済むまで待つより外は無いと考へた。
上の渡し近くに在る一軒の饂飩屋《うどんや》は別に気の置けるやうな人も来ないところ。丁度其前を通りかゝると、軒を泄《も》れる夕餐《ゆふげ》の煙に交つて、何か甘《うま》さうな物のにほひが屋《うち》の外迄も満ち溢《あふ》れて居た。見れば炉《ろ》の火も赤々と燃え上る。思はず丑松は立留つた。其時は最早《もう》酷《ひど》く饑渇《ひもじさ》を感じて居たので、わざ/\蓮華寺迄帰るといふ気は無かつた。ついと軒を潜つて入ると、炉辺《ろばた》には四五人の船頭、まだ他に飲食《のみくひ》して居る橇曳《そりひき》らしい男もあつた。時を待つ丑松の身に取つては、飲みたく無い迄も酒を誂《あつら》へる必要があつたので、ほんの申訳ばかりにお調子一本、饂飩はかけにして極《ごく》熱いところを、斯
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