》其通り、何も話す必要は有ません。一体、私は左様|他人《ひと》のことを喋舌《しやべ》るのが嫌ひです――まして、貴方とは今日始めて御目に懸つたばかりで――』
『そりやあ成程、私のことを御話し下さる必要は無いかも知れません。私も貴方のことを他人《ひと》に言ふ必要は無いのです。必要は無いのですが――どうも其では何となく物足りないやうな心地《こゝろもち》が致しまして。折角《せつかく》私も斯うして出ましたものですから、十分に御意見を伺つた上で、御為に成るものなら成りたいと存じて居りますのです。実は――左様した方が、貴方の御為かとも。』
『いや、御親切は誠に難有いですが、其様《そんな》にして頂く覚は無いのですから。』
『しかし、私が斯うして御話に出ましたら、万更《まんざら》貴方だつて思当ることが無くも御座《ござい》ますまい。』
『それが貴方の誤解です。』
『誤解でせうか――誤解と仰ることが出来ませうか。』
『だつて、私は何《なんに》も知らないんですから。』
『まあ、左様《さう》仰れば其迄ですが――でも、何とか、そこのところは御相談の為やうが有さうなもの。悪いことは申しません。御互ひの身の為です。決して誰の為でも無いのです。瀬川さん――いづれ復《ま》た私も御邪魔に伺ひますから、何卒《どうか》克《よ》く考へて御置きなすつて下さい。』


   第拾四章

       (一)

 月曜の朝早く校長は小学校へ出勤した。応接室の側の一間を自分の室と定めて、毎朝授業の始まる前には、必ず其処に閉籠《とぢこも》るのが癖。それは一日の事務の準備《したく》をする為でもあつたが、又一つには職員|等《たち》の不平と煙草の臭気《にほひ》とを避ける為で。丁度其朝は丑松も久し振の出勤。校長は丑松に逢つて、忌服中のことを尋ねたり、話したりして、軈てまた例の室に閉籠つた。
 この室の戸を叩《たゝ》くものが有る。其音で、直に校長は勝野文平といふことを知つた。いつも斯ういふ風にして、校長は斯《こ》の鍾愛《きにいり》の教員から、さま/″\の秘密な報告を聞くのである。男教員の述懐、女教員の蔭口、其他時間割と月給とに関する五月蠅《うるさい》ほどの嫉《ねた》みと争ひとは、是処《こゝ》に居て手に取るやうに解るのである。其朝も亦、何か新しい注進を齎《もたら》して来たのであらう、斯う思ひ乍ら、校長は文平を室の内へ導いたのであつ
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