つて一向恐れるところは無い。恐れるとすれば、其は反《かへ》つて先方《さき》のことだ。斯う自分で答へて見た。第一、自分は四五年|以来《このかた》、数へる程しか故郷へ帰らなかつた――卒業した時に一度――それから今度の帰省が足掛三年目――まあ、あの向町なぞは成るべく避《よ》けて通らなかつたし、通つたところで他《ひと》が左様《さう》注意して見る筈も無し、見たところで何処のものだか解らない――大丈夫。斯う用心深く考へても見た。畢竟《つまり》自分が二人の暗い秘密を聞知つたから、それで斯う気が咎《とが》めるのであらう。彼様《あゝ》して私語《さゝや》くのは何でも無いのであらう。避けるやうな素振《そぶり》は唯人目を羞《は》ぢるのであらう。あの目付も。
とはいふものゝ、何となく不安に思ふ其懸念が絶えず心の底にあつた。丑松は高柳夫婦を見ないやうにと勉《つと》めた。
(四)
千曲川の瀬に乗つて下ること五里。尤《もつと》も、其間には、ところ/″\の舟場へも漕ぎ寄せ、洪水のある度に流れるといふ粗造な船橋の下をも潜り抜けなどして、そんなこんなで手間取れた為に、凡《およ》そ三時間は舟旅に費《かゝ》つた。飯山へ着いたのは五時近い頃。其日は舟の都合で、乗客一同|上《かみ》の渡しまで。丑松は人々と一緒に其処から岸へ上つた。見れば雪は河原にも、船橋の上にも在つた。丁度小降のなかを暮れて、仄白《ほのじろ》く雪の町々。そこにも、こゝにも、最早ちら/\灯《あかり》が点く。其時蓮華寺で撞《つ》く鐘の音が黄昏《たそがれ》の空に響き渡る――あゝ、庄馬鹿が撞くのだ。相変らず例の鐘楼に上つて冬の一日《ひとひ》の暮れたことを報せるのであらう。と其を聞けば、言ふに言はれぬ可懐《なつか》しさが湧上つて来る。丑松は久し振りで飯山の地を踏むやうな心地《こゝろもち》がした。
半月ばかり見ないうちに、家々は最早《もう》冬籠《ふゆごもり》の用意、軒丈ほどの高さに毎年《まいとし》作りつける粗末な葦簾《よしず》の雪がこひが悉皆《すつかり》出来上つて居た。越後路と同じやうな雪国の光景《ありさま》は丑松の眼前《めのまへ》に展《ひら》けたのである。
新町の通りへ出ると、一筋暗く踏みつけた町中の雪道を用事ありげな男女《をとこをんな》が往つたり来たりして居た。いづれも斯《こ》の夕暮を急ぐ人々ばかり。丑松は右へ避《よ》け、左へ
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