映つて、妙に佗《わび》しい感想《かんじ》を起させもする。
今の下宿には斯《か》ういふ事が起つた。半月程前、一人の男を供に連れて、下高井の地方から出て来た大日向《おほひなた》といふ大尽《だいじん》、飯山病院へ入院の為とあつて、暫時《しばらく》腰掛に泊つて居たことがある。入院は間もなくであつた。もとより内証はよし、病室は第一等、看護婦の肩に懸つて長い廊下を往つたり来たりするうちには、自然《おのづ》と豪奢《がうしや》が人の目にもついて、誰が嫉妬《しつと》で噂《うはさ》するともなく、『彼《あれ》は穢多《ゑた》だ』といふことになつた。忽ち多くの病室へ伝《つたは》つて、患者は総立《そうだち》。『放逐して了《しま》へ、今直ぐ、それが出来ないとあらば吾儕《われ/\》挙《こぞ》つて御免を蒙る』と腕捲《うでまく》りして院長を脅《おびやか》すといふ騒動。いかに金尽《かねづく》でも、この人種の偏執《へんしふ》には勝たれない。ある日の暮、籠に乗せられて、夕闇の空に紛れて病院を出た。籠は其儘《そのまゝ》もとの下宿へ舁《かつ》ぎ込まれて、院長は毎日のやうに来て診察する。さあ今度は下宿のものが承知しない。丁度丑松が一日の勤務《つとめ》を終つて、疲れて宿へ帰つた時は、一同『主婦《かみさん》を出せ』と喚《わめ》き立てるところ。『不浄だ、不浄だ』の罵詈《ばり》は無遠慮な客の口唇《くちびる》を衝《つ》いて出た。『不浄だとは何だ』と丑松は心に憤つて、蔭ながらあの大日向の不幸《ふしあはせ》を憐んだり、道理《いはれ》のないこの非人扱ひを慨《なげ》いたりして、穢多の種族の悲惨な運命を思ひつゞけた――丑松もまた穢多なのである。
見たところ丑松は純粋な北部の信州人――佐久小県《さくちひさがた》あたりの岩石の間に成長した壮年《わかもの》の一人とは誰の目にも受取れる。正教員といふ格につけられて、学力優等の卒業生として、長野の師範校を出たのは丁度二十二の年齢《とし》の春。社会《よのなか》へ突出される、直に丑松はこの飯山へ来た。それから足掛三年目の今日、丑松はたゞ熱心な青年教師として、飯山の町の人に知られて居るのみで、実際穢多である、新平民であるといふことは、誰一人として知るものが無かつたのである。
『では、いつ引越していらつしやいますか。』
と声をかけて、入つて来たのは蓮華寺の住職の匹偶《つれあひ》。年の頃五十前後。
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